2021
07/24
土
前回の延命地蔵堂からの続きで、『光徳寺』(こうとくじ)の本堂に伺います(^^)/
まずは、入口廻りの全景になります。石碑の右側が前回紹介した延命地蔵堂となります。
入口の左手に「豊川稲荷大明神」がありました。由緒由縁はわかりません(^^;)
石段を中段まで上がった所に、光徳寺の説明板がありました。境内は更に高い位置にあるため、お城のような石垣が積まれており、その上を塀で囲われていました。
説明板の内容は、
「伝承によれば光徳寺は、明応九年(1500)に悟渓和尚によって開山されたということであるが、史料的には「本尊薬師瑠璃光如来奉刻彫勧進帳」によって、慶長四年(1599)にはその設立が確実に認められる。
光徳寺の庫裡には、幕末から明治にかけての住職遂応和尚によって考案設計された、人力車の祖型ともいうべき「車付駕籠」(町有形文化財)が保存され、また境内には樹齢二百五十年余の「枝垂桜」(町天然記念物)がある。」 と書かれています。
石段を上がった最初にあったのは、今は使われていない山門(中門?)になります。
その山門の右側に、城門張りの立派な入口があり、そこから中に入れるようです。入口には「木曽七福神恵比寿尊霊場」と「中部四十九薬師霊場第二十一番礼所」と書かれた札が立て掛けられていました。光徳寺は2つの霊場の礼所となっているようです。
入口前には「秋葉様」の祠がポツンとあります。以前は妻籠の本陣前にあったそうですが、移築して現在の場所になったようです。
入口から境内に入って本堂を見ています。
本堂の右手に唐破風屋根の玄関があります。玄関の右側が庫裡になります。
山門の内側辺りに鐘楼があります。その右横に「身代わり地蔵堂」がありました。
本堂の正面入口部分には「光徳寺」と書かれた扁額が掲げられています。
御本尊は薬師如来になります。
玄関から本堂にお邪魔させていただき、方丈の額が掛かった広縁にてお参りをさせていただきました<(_ _)>
本堂の廊下には「御篭」(おかご)が吊られていました。約250年前の物で、尾張徳川家より拝領したようです。
庫裡の玄関には、最初の説明板に書かれていた、人力車の原型になった「車付駕籠」が飾られていました。町有形文化財となっているようです。
境内全景です。
御朱印
場所:光徳寺





この記事と関連する記事
AFTER「[静岡県] 徳川家康築城の浜松城」
BEFORE「[長野県] 中山道妻籠宿と光徳寺」
COMMENT