2021
07/19
月
『妻籠宿』(つまごじゅく)に行きました(^^)/
まずは、「妻籠宿 中央駐車場」に車を停めます。
駐車場の写真
を撮り忘れたので、Gooleマップのストリートビューより

妻籠宿の南端から歩いてまわるために「尾又橋」を渡って旧中山道に入ります。中山道と平行に流れる欄川(あららぎがわ)が綺麗だったので、尾又橋から撮ってみました(^^)/
ここから旧中山道妻籠宿の街並みを散策していきます。コロナ禍の影響もあり、妻籠宿も馬籠と同じで閑散としていました。
中山道妻籠宿の中程で、街道の辻になる場所に常夜灯がありました。
妻籠宿の高札場(跡)です。
妻籠宿北詰前あたりにありました「鯉岩」です。文化二年(1805)に発行された『木曽路名所図会』にその絵が載っている中山道三名石の一つでしたが、濃尾大地震により頭の部分が落ちて形が変わってしまったみたいです。絵を見ると鯉が水面を飛び跳ねたような岩の形をしていたようです。
鯉岩からUターンします。途中にありました御食事処「藤乙」さんで、冷し山菜そばをいただきました。 とても美味しかったです(^^)/
長野県の天然記念物になります「妻籠のギンモクセイ」です。巨木で老木ですが、9月には白い花が咲くようです。街道から少し外れた高台にあります。
妻籠宿の辻があった場所を過ぎた辺りに『光徳寺』(こうとくじ)がありました。
左側に「瑠璃山光徳禅寺」と山号の書かれた寺号碑があり、左には宗派である臨済宗妙心寺派が刻まれた石碑がありました。
寺号碑のある入口右側に「延命地蔵堂」がありました。
「享保十年(1725)の書上げには「地蔵堂」と記されている。堂内には直径が二メートルほどもある自然石が安置されているが、この石の由来は、文化十年(1813)五月十日頃、河中(蘭川の川原)に地蔵尊が浮かび出ている石があることを旅人に告げられて知り、当時の光徳寺住職中外和尚をはじめとする村人たちが、ここまで運びあげたというものである。この延命岩を別名汗かき地蔵というのは、この石が常にぬれているようにみえることによる。毎年四月二三か二四日にお祭りが行われている。」
中央の厨子のような所に大岩が祀られています。この岩に地蔵尊が浮かび上がるようです。汗かき地蔵にお参りをさせていただきました<(_ _)>
地蔵堂の隣には石仏の「寒山拾得」(かんざんじっとく)像が祀られています。
「この石仏は、昭和五十九年の長野県西部大地震で、石段左手の石垣が崩れた際に発見され、不思議な像が彫られているので、道祖神の一種と考え、寺下住民がこの地に祀ってきた。その石垣自体、安政元年の大地震の後に積み直されたもので、それが再び地震で崩れ、石仏が出現したわけで、まことに不思議なことである。
この石仏が日本石仏協会の目にとまり、寒山拾得を題材にした「箒と巻物を持った人物による双体像」は、国内唯一つの珍らしい絵柄と分析された。彫ったのは、文政年間にこの像の隣にある「水舟」を手掛けた光徳寺の「中外和尚」と推察される。
「寒山」は、唐代の禅僧豊干に師事し、天台山の近くに「拾得」とともに住んだ奇行の僧で、伝説の部分も多いが「寒山詩」や「禅宗の画材」として有名である。
石仏の「寒山」が手にする「巻物」は、智慧を意味し文殊菩薩の化身であり、隣の「拾得」が手にする箒は、行動を意味し普賢菩薩の化身と言われている。」
今回はここでおしまいです。次回は上の境内にあります本堂などを紹介していきます。
延命地蔵尊の御朱印
場所:光徳寺





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