2021
07/09
金
宝厳寺の参拝を終え長浜港に戻ってきましたが、まだ若干時間があったので、長浜市高月町渡岸寺にあります『向源寺』(こうげんじ)に行きました(^^)/
国道365号線を
北進し、向源寺にのある場所へ左折した所に石碑がありました。「国宝 観世音菩薩」の文字が刻まれています。

観音堂の手前に
無料駐車場がありましたので、
車を停めて観音堂入口に来ました。


門の手前左側には、また「国宝観世音」の文字が刻まれた石碑がありました。タイトルにも書きましたが、ここ向源寺には国宝である十一面観世音立像がありますが、日本で国宝に指定されているのは7体しかなく、大変貴重なものということがわかります。
最初の
写真も、この上の
写真も寺号標ではないんですが、、、


実は、向源寺の本堂は別の所にありまして、この観音堂から更に100m西に行った所にありました。伺った場所は向源寺の『渡岸寺観音堂』(どうがんじかんのんどう)なので、寺号標がなかったようです。渡岸寺は地名ですので、渡岸寺観音堂は呼称(別称)になります。


Googleマップより
数多くある文化財の内容が石碑に刻まれています。一番最初には国宝の木造十一面観世音立像が書かれていますが、それによると観音像はヒノキで作られており、平安初期密教美術の傑作だそうです。
太鼓橋手前からの仁王門の全景になります。本瓦葺きで八脚門のようです。
門の右横には「天神社」がありました。
門の両サイドには金剛力士像(仁王像)が安置されており、木彫りの像は県指定文化財となっています。像高は約2mあり、こちらも平安期の作のようです。
境内参道は石畳となっており、脇は緑も多く清々しい場所となっていました。
参道左側にあった手水舎にて身を清めます。手水舎の奥にある拝観受付所にて拝観料500円を納め観音堂に入場します。ここで御朱印もいただけるのですが、当日はコロナの関係もあり書き置きでの拝受となりました。
本瓦葺き入母屋造り、流造りで向拝付きの「観音堂」です。
向源寺の御本尊は阿弥陀如来となっています。
境内左側にお地蔵様も祀られていました。境内右側には寺務所がありました。
観音堂の左側にチラッと見える現代風の建物(宝物庫)に、国宝である木造十一面観世音立像が祀られています。観音堂から渡り廊下を通じて宝物庫まで行けます。
向源寺の縁起は、拝観のリーフレットに書かれていた一部抜粋です。
「その昔、聖武天皇の天平八年(今から約1,250年前)当時都に疱瘡が大流行し死者が相次いだので、天皇は除災の祈祷を僧泰澄に勅せられました。泰澄は勅を奉じ、祈願をこめて十一面観世音を彫み、一宇を建立して息災延命、万民豊楽の祈祷をこらしてその憂いを絶ったと伝えられます。
以来、病い除けの霊験あらたかな観音像として敬仰せられ、桓武天皇の延暦二十年(801年)には比叡山の僧最澄が勅を奉じて七堂伽藍を建立し、多くの仏像を安置して輪奐の美をきわめました。しかし、時勢と共に寺運は漸く衰え、元亀元年、豪雄浅井・織田両氏の戦火のため、堂宇は悉く烏有に帰し寺領亦没収せられて、ここに全く廃滅してしまいました。
此の兵乱に観音様を敬仰する住職巧円をはじめ土地の住民達は、兵火が堂宇を襲うや猛火を冒して搬出しましたが、お守りする堂なく、やむなく土中に埋蔵して難をまぬがれたといわれます。その後、巧円は真宗に転宗し、光眼寺を廃寺にし向源寺を建て、諸佛は秘仏としてお守りしてきました。」
大きな提灯がある入口から、靴を脱いで中に入ります。
観音堂の外陣にてお参りをさせていただきました<(_ _)>
渡り廊下を通って、宝物庫の前は二重の自動ドアの手前にも大きくて重そうな観音扉がある中で、国宝の拝観をさせていただきました。中はもちろん
撮影禁止
となっていますので、拝観券を購入した場所で絵葉書を購入してきましたので、それをご覧下さい。


十一面観世音菩薩は非常に優しい顔をされており、立ち姿も微妙に斜に構えておられるなど造形の美しさも感じさせてくれました。
拝観後、境内の外に「渡岸寺野神」と書かれた「ケヤキ」の御神木があったので
撮りました。その御神木の後ろには、庫裡かな?大きな建物もありました。

これで、二日続けた福井~滋賀の御朱印巡りは終了です。今回は国宝や街道、お城跡までバラエティに富んでおり、有意義な旅ができました~(^_^)v
御朱印
場所:向源寺(渡岸寺観音堂)





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