2021
07/04
日
前回は『宝厳寺』(ほうごんじ)の御本尊がある本堂(弁才天堂)まで報告しましたが、今回はその続きで、残りの半分を報告していきます(^^)/
まずは、先程上がってきた石段を左に進み、上に行く石段を上がると建物の手前に重要文化財看板が出てきました。「毛抜型大刀」と書かれた大刀がこの先にある宝物殿にでも納められているんでしょうか?
もちの木の奥に朱色の三重塔が現れました。株立ちのいい「もちの木」は慶長七年(1602)、豊臣秀頼の命を受け、観音堂・唐門・渡廊下を移築したときに、記念にお手植えされたものだそうです。
美しい形の「三重塔」ですが、江戸時代初期に焼失し、平成十二年に復元されたようです。
三重塔の横にありますのは、「宝物殿」です。中の拝観は出来なかったです。
宝物殿前からの眺望が絶景ということですが、高木の緑が多すぎません?…
上がってきた石段を下に降り、天狗堂を左に進むと「西国三十三所観世音泰安殿」がありました。ここは西国三十三所観音霊場のそれぞれの札所の本尊を模した33体の観音像を祀っているようです。
観世音泰安殿を過ぎると、見えてきました国宝の「唐門」と観音堂です。
「慶長7・8年(1602・3)豊臣秀吉の子秀頼によって、京都豊国廟(秀吉の亡がらを葬った廟所)の建造物を竹生島に移築するかたちで、当時荒廃していた竹生島の伽藍整備が行われました。この時、豊国廟の極楽門が移築され現在の宝厳寺唐門になったといいます。豪華絢爛と評される桃山様式の建造物の特徴がよく表れており、破風板内部の正面中央には大型の蟇股が置かれ、その内部は牡丹の彫刻で埋められています。蟇股の外部や脇羽目なども多彩な彫刻で埋め尽くされ、極彩色で飾られています。現在は、長年の風雨によりその華やかな色もずいぶん褪せていますが、建立当初は、黒漆塗りの躯体と、赤・黄・緑などの極彩色とが鮮やかなコントラストで映えていたことでしょう。
さて、この唐門は京都から移築されてきたものですが、実は、その前に一度移築を経験しています。このことが最近ある大発見によってよりクローズアップされてきました。2006年、オーストリアのエッゲンベルグ城に飾られていた壁画が、豊臣時代の大坂を描いた屏風絵であったということが判明したのです。そこには、大坂城の本丸と二の丸の間にかかる屋根や望楼を持つ豪華な橋・極楽橋が描かれていたのです。この橋は、慶長元年(1596)に建造され、慶長5年(1600)に京都の豊国廟へ移築され極楽門として設置されたことがわかっています。さらに、慶長7年(1602)に竹生島に移築され現在に残っているというわけです。江戸時代の初期に徳川家によって破却された豊臣時代の大坂城の一部が唯一、竹生島に現存しているのです。秀吉が、初めて城持ちの大名となった地である長浜に、栄華を極めた秀吉の象徴とも言える大坂城の遺構が唯一残っていることは、深い因縁を感じさせます。」
本当に素晴らしい色彩の唐門です。当時のままの色合いかはわかりませんが、さすがに豊臣秀吉の威信をかけたものに感じられます。
唐門の説明板にもありましたが、中央の蛙股には赤い牡丹が色鮮やかにあります。横木の下には兎の彫刻、蛙股の横には雉かな? 黒漆に金細工の金物が使われるなど、豪華絢爛さの象徴のようでした。
唐門前には「西国三十番礼所」と書かれた石碑がありました。
ここの観音堂が礼所になります。
唐門から観音堂に入りますと、正面に「賓頭盧尊者」(びんずるそんじゃ)の像があります。そこを右に行くと授与所らしき場所になっていました。ここで西国三十三所の御朱印をいただきました。
観音堂は国の重要文化財に指定されており、観音堂の御本尊は千手千眼観世音菩薩像になります。中程に観世音菩薩の提灯がある場所が賽銭箱もあり向拝となっていましたので、お参りをさせていただきました<(_ _)>
観音堂を更に奥に行くと「渡廊」がありました。船廊下とも呼ばれているようで、造りはとてもシンプルですが、江戸時代にタイムスリップしたような感じがとても好きです。
「宝厳寺観音堂と都久夫須麻神社本殿を結ぶ渡り廊下。竪連子窓を両側に配し、彫刻や天井板を廃したシンプルなデザインは、唐門・観音堂・都久夫須麻神社本殿とは少し趣を異にします。急斜面に建つため床下は足代を組んだ無体造。
豊臣秀吉の御座船「日本丸」の部材によって建てられたという伝承を持つことから別名「船廊下」と呼ばれています。」
「都久夫須麻神社」本殿です。左側につながる部分が先程の渡廊です。
本殿の正面にあったのが「八大竜王拝所」で、ここから皿の形の土器を湖に向かって投げ、 投げた「かわらけ」が鳥居をくぐると願いが叶うと言われています。
渡廊を下から見ています。先程の説明であった「舞台造」が見てとれます。清水寺の舞台と同じ感じかな~(^^)/
渡廊の下から見えるのは、最初に入った港の拝観券販売所と、正面の建物は宝厳寺本坊になります。今回はこれで終了ですが、こんな近い場所にこれだけ素晴らしい場所があるとは知りませんでした。船でしかいけないのがネックですが…(^^;)
西国三十三所の御朱印
場所:宝厳寺





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