2021
06/24
木
熊川宿は福井県三方上中郡若狭町にある若狭と京都を結ぶ旧鯖街道の宿場町です。熊川宿伝統的建造物群保存地区の名称で国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されています。
国道303号線沿いにある西口公園駐車場
に車
を駐車し歩いて散策します。入口に熊川宿の名前が入った看板が目立ちます。


入口すぐの所に説明板がありました。
「 夏山や 通ひなれたる 若狭人
蕪村も詠んだ、若狭と京の都を結び、現在鯖街道とも称される若狭街道の熊川宿は、安土桃山時代から江戸時代を通して、物資流通の拠点として繁栄しました。
町はこちら西から、下ノ町、中ノ町、上ノ町の三つに分かれ、宿場全体に沿って流れる前川とともに、今なお江戸時代以来の景観をよく残しています。
ここ宿場の西口には、孝子与七の碑や西山稲荷神社の鳥居があり、宿場町への導入となっています。更に進むと下ノ町三百メートルの直線的家並みが始まります。
最初は茅葺民家が目につき、これらがなくなるあたりから前川が姿を見せます。
そして、平入の建物に混じり、妻入の家の割合が多いため、密度の高い美しい町並みが展開していきます。」
近年道路がカラー舗装されたようで、土色になって雰囲気も良くなっています。
下ノ町から中ノ町の境は矩折れ(くおれ)となっており熊川では「まがり」と呼ばれていたようです。案内図もありましたので、
写真に載っている場所を重点に見ていきます。

1枚目は「まがり」からの中ノ町を見ています。宿場町にはよく
写真のように用水が流れているイメージがあります(^^)/

2枚目は「荻野家住宅」です。熊川宿で最も古く、問屋の形式を残す、国の重要文化財だそうです。
3枚目は「松木神社」(まつのきじんじゃ)です。江戸時代のはじめ、厳しい年貢の取り立てに苦しむ若狭の農民の代表となり一命をかけ年貢の軽減を直訴し達成させた松木庄左衛門が祀られている神社です。
5枚目は「白石神社」です。熊川地区の氏神で、例祭では京都祇園祭を模した山車が出るそうです。後から行きます「熊川城跡」もここから入ります。
6枚目は「旧問屋菱屋」です。街道の繁栄を支えた旧家だそうです。
7枚目のこの辺りまで来ると食べ物屋さんもチラホラ(^^)/
熊川宿の陣屋跡の看板がありました。看板奥には熊川宿資料館の「宿場館」がありましたので、入場料200円を払い見学してきました。
宿場館は熊川宿と鯖街道の歴史を見せてくれる資料館となっていました。
素晴らしい町並みはまだまだ続きます。
東の終点(始点)に「熊川番所」がありました。復元でしたが、ここで厳しい統制と物資への課税が行われていたようです。「鯖街道 熊川宿」と刻まれた石碑に魅力を感じます(^^)/
さて、ようやくここから『熊川城跡』(くまがわじょうあと)になります。
先程途中にありました、「白石神社」まで戻り、参道を境内まで進んでいきます。
熊川城址と書かれた看板に書かれていました。
「関東沼田家の一族であった沼田勘解由の山城がこの山上百メートル先にある
沼田氏は足利時代からこの地に居住した土豪であった。城は天正十二年(1583年)廃城となった。
主廊を配した山城で、延長約百メートル余り、櫓址、空堀等の遺構が今も残る。」
石段の曲がり角にあった石灯籠を左に曲がり、更に石段を登ります。先にある鳥居をくぐると境内に拝殿と本殿がありました。
更に奥に進み山を登る事15分で開けた所に着きました。たぶん櫓台があるのでこの辺が「主郭」になります。櫓台から見る景色は山間でした…(^^;)
途中にあった案内所のような所で御城印を頂きました~(^^)/
場所:熊川城跡





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