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大人の事情 ~御朱印ライフ~

付き合いで始めた寺社(御朱印)巡り、今じゃ週末のライフワークになりました~♪

2021 06/04

[福井県] 敦賀市縁結び観音 金前寺


氣比神宮のお参り後は、北へ1km程の所にあります
『金前寺』(こんぜんじ)に行きました(^^)/
交差点の角に「金崎宮」の社号碑がある道路の向かい側に本堂がありました。「金崎宮」はここの後に向かいます。金前寺の寺号碑は周辺には見当たりませんでした(^^;)

金前寺 全景

本堂は銅板葺き方形(宝形)造の屋根で向拝部分を流造で屋根を伸ばしています。
頂部の宝珠が大きくて格好良いです。





本堂の手前に金前寺の歴史が書かれていました。

金前寺 由緒

「天平八年(736)四十五代聖武天皇の勅により泰澄大師が十一面観世音菩薩の座像を刻み、本尊として開創(現在金ヶ崎宮の地)
 弘仁二年(811)弘法大師(空海)ご留錫あり、その頃は十二坊を有し壮麗であった。
 南北朝の延元元年~二年(1337)にわたる一大血戦の本営となり、足利尊氏の軍に敗れた新田義貞は敗走し、後醍醐天皇の第二皇子尊良親王及び新田義顕は当山観音堂にて自害される。(落城三月六日)
 元亀元年(1570)織田信長の天筒山攻めの兵火により堂宇全焼。
 寛文二年(1662)現在地に観音堂を再建。
 元禄二年(1689)俳聖芭蕉来遊し延元の戦いと沈鐘の物語を聞き
   月いづこ鐘は沈るうみのそこ はせを と詠む。
宝暦十一年(1761)芭蕉滅後六十八年目に鐘塚建立。(境内に在り)
 昭和二十年七月十二日(1945)米空軍の爆撃により堂宇寺宝の一切灰燼と化せり。
 昭和三十二年十月 高浜虚子、星野立子ら鐘塚を訪れ
   句碑を訪うおりから月もなかりけり 虚子 と詠む。
 昭和六十三年十月(1988)檀信徒の浄財により、本堂再建す。」




境内の北側にミニチュアの「五重塔」がありました。ミニチュアと言っても木造部分だけで6mあるそうで、総高は9.8mと立派なものです。塔内には金剛界大日如来尊像を安置しております。

金前寺 五重塔




五重塔の横には「水子地蔵菩薩像」が祀られていました。

金前寺 水子地蔵




更にその右隣には「鐘楼堂」です。平成11年の再建で、六角屋根にコンクリート造でシンプルに造られています。

金前寺 鐘楼堂




鐘楼堂の下には左から「弘法大師像」、「聖観世音菩薩像」、「不動明王像」が祀られていました。

金前寺 弘法大師像等




本堂入り口上には「誓法山」と山号が書かれています。
金前寺は高野山真言宗の寺院になります。

金前寺 向拝




入口を中に入った広縁に賽銭箱がありましたのでお参りをさせていただきました<(_ _)>
広縁にはお守りや御朱印(書き置き)が販売されています。ご不在でしたので、書き置きの御朱印をいただいて参りました。

金前寺 外陣




本堂内部です。内陣の奥に祀られているのは御本尊でしょうか?
金前寺の御本尊十一面観世音菩薩は「袴掛観音」(はかまかけかんのん)として知られ、縁結びの観音様として御利益があるようです。

金前寺 本堂内




境内は非常に綺麗に整備されていました。

金前寺 本堂




本堂の裏には「歓喜天堂」と「納骨堂」がありました。

金前寺 歓喜天堂

金前寺 納骨堂





歓喜天堂の前には句碑が刻まれた「芭蕉の鐘塚」がありました。氣比神宮にも芭蕉の痕跡があるようでしたが、ここの鐘塚は県内で最も古いようです。

金前寺 芭蕉鐘塚




御本尊袴掛観音の書かれた御朱印
金前寺


場所:金前寺


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