2021
05/30
日
今回は福井県敦賀市に出張でしたが、時間が余りましたので、
越前國一之宮である『氣比神宮』(けひじんぐう)に伺いました~(^^)/
西の道路側にある専用駐車場
に停め、西の入口前に来ました。

入口にある太鼓橋の左側に氣比神宮の縁起がありました。
「主祭神氣比大神は神代から此の地に鎮り給うた大宝二年(702)勅に依り社殿の修営を行い仲哀天皇神功皇后を合祀した。日本武命をはじめ四柱神を別殿(四社の宮)に奏斎した。延喜武に「祭神七座並名神大社」とあリ類聚三代格には「神階正一位勲一等」と記されておリ此の七柱の神は一座ごとに官幣(大社)の奉幣にあずかっている。歴代の皇室をはじめ衆庶の尊崇きわめて篤き所以である。明治二十八年官幣大社に昇格し神宮号宣下の御沙汰を賜って氣比神宮と称した。之単に北門の鎮護たるのみならず日本有数の古名大社として通称「氣比さん」の名で親しまれ全国に幅広い信仰を集め九月二日より十五日におよぶ例祭は「氣比の長まつり」としてその名を留めている。上古より歴朝の奉幣は実に枚挙に逡なく行幸啓も極めて多く戦後では昭和四十三年畏くも天皇皇后両陛下御親拝・昭和六十に年五月昭和の大造営に依る本殿遷座祭・平成十四年御祭神合祀千三百年弐年大祭にあたり、幣帛料の御奉納を賜り厳粛なる奉幣祭が営まれた。戦後の都市計画で境内は大福に削減されたが、由緒ある摂末社十五の中、当地敦賀の地名の発祥である武内摂社角鹿(つぬが)神社がある。」
と、書かれています。北陸道総鎮守で主祭神は伊奢沙別命(いざさわけのみこと)になります。氣比大神、御食津大神とも称されます。その他本殿に仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)、神功皇后(じんぐうこうごう)の2柱、本殿周囲の四社の宮(ししゃのみや)に祀られる日本武尊(やまとたけるのみこと)、応神天皇(おうじんてんのう)、玉姫命(たまひめのみこと)、武内宿禰命(たけのうちのすくねのみこと)の7柱となります。
右の社号碑には旧社格である「官幣大社」と社名「氣比神宮」とあります。
朱色の大鳥居は、江戸時代前期の天保二年(1645)造営の両部鳥居で国の重要文化財になります。奈良県の春日大社、広島県の厳島神社の鳥居と共に、日本三大木造鳥居の一つとされているようです。
鳥居の扁額はは有栖川宮威仁親王の染筆によるものだそうです。
日本の皇族ですが、正直知らない人です…(^^;)
鳥居くぐって中に入った所に大鳥居の説明板がありました。
氣比の大鳥居(旧国宝)
「当神宮は古く仲哀天皇の行幸・奉拝祈願があり悠久二千年の歴史を有する元の官幣大社で北陸道総鎮守・越前国一之宮である。大鳥居の歴史は通称赤鳥居として嵯峨天皇弘仁元年(810)の造営時に東参道口に創建されたが度重なる災害に依り倒壊した為正保二年(1645)境域の西門に配し同礎石を移し寛永年間旧神領地佐渡国鳥居ヶ原から伐採奉納の榁樹一本で両柱を建て再建されたのが現在の朱塗の大鳥居である。明治三十四年国宝に指定(現在は国の重要文化財)木造では天下無双の大華表と古くから呼称され各時代それぞれに権威ある伝統技術によって保存修理が行なわれ今日にその偉容を伝えている。尚正面の扁額は有栖川宮威仁親王の御染筆である。」
参道右手には新しそうな大きな社務所がありました。
社務所の前あたり、参道左手には亀の口から水が出ている「長命水」がありました。
氣比神宮のパワースポットとして、多くの参詣者がここを訪れ境内名所の一つとなっているようです。
長命水を過ぎた所に手水舎がありましたので、身を清めてお詣りに進みます。
左側に二の鳥居がある場所の角に「旗掲松」(はたかけのまつ)がありました。
「南北朝争乱時代の延元元年(1336)、北朝の足利軍に対し当神官大宮司氣比氏治が南朝後醍醐天皇を奉じ氣比大明神の神旗を掲げたと伝える祈願の松で、今は旧松根から芽吹いた二代目が育っている。」とありました。
社務所の東側には「松尾芭蕉像」と句碑がありました。
松尾芭蕉も訪れているんですねぇ~
入口からの突き当たりに見える建物は「絵馬殿」で、奥に「神水苑」と名付けられた日本庭園がありました。
「ユーカリ」の木です。昭和11年、当時陸軍関係者が武運を祈願して献木されたユーカリの木で、敦賀市指定天然記念物に指定されているようです。
「絵馬殿」ですが、あまり手入れがされていないのか、綺麗ではなかったです。。。
「二の鳥居」も両部鳥居です。大鳥居と同じく朱色に塗られ、金縁・金文字の扁額も同じように作られていました。
二の鳥居正面にあるのは「外拝殿」になります。正面から見ると一見切妻造りの桁行側に見えますが、外拝殿の奥にある内拝殿はこの建物の中心に棟があり、左右に屋根勾配が付いた複雑な形になっていました。ちょうど屋根の真ん中に鬼瓦が顔を出しています。向拝部分も同様に屋根を仕上げた先端に唐破風付きとなっていて豪華に感じられます。
外拝殿から右側を向くと、回廊の真ん中に「神門」があります。
神門の扉には「菊紋」がありますが、これはもちろんご存じの通り日本の国章で、天皇や皇室が使用している格式のある家紋です。ですが、気付かれた方もおられると思いますが、鳥居や拝殿等の熨斗瓦に「菊紋」以外の神紋(家紋)がありました。(真ん中に菊紋もありますが、扁額で見えていません)
それがこちらです





鳥居の島木部分を拡大しましたが、両外に「巴紋」、その内側に五七桐の「桐紋」があるんです。五七桐紋は言わずと知れた「豊臣秀吉」の家紋ですが、菊紋と同じく日本の国章として扱われ政府の紋章でもあります。
では、何故3種類も使われているのか調べましたら、皇室ゆかりの場所と言うことで、菊紋があり、菊の裏紋である桐紋も同じく使用しているそう。巴紋は八幡神社とゆかりがあり、その神紋「右三つ巴紋」を使っているようです。
拝殿の左側には授与所があります。先程の神門の正面になります。
外拝殿の右斜めから全景を
撮っています。銅葺きの屋根に緑青が出ていい感じに雰囲気が出ています。向拝は広く、賽銭箱にも菊紋がありました。

外拝殿は石畳ですが、内拝殿は床組みして一段高くなっています。内拝殿から奥の本殿へ続いています。向拝にてお詣りをさせていただきました<(_ _)>
外拝殿の西側に「九社之宮と神明両宮」の末社がありました。
授与所にて御朱印を書いていただきました。
御朱印にも3種の神紋が押されていました。
場所:氣比神宮





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