2021
04/25
日
土岐高山城跡に続きましては、同じ土岐市内でもちょっと南に向かった山手にあります
『崇禅寺』(そうぜんじ)に行きました(^^)/
タイトルにもありますが、先日伺いました「妻木城(跡)」の歴代城主の菩提寺として庇護され、最盛期には11の搭頭が建ち並び栄えたそうです。
まずは、道路沿いにあります「山門」です。「山門」は妻木城士屋敷(さむらいやしき)から移築されたと伝わるもので、茅葺き切妻造りと大変珍しいものです。
山門前には右に「光雲霊山」の石碑があり、こちらは山号(光雲山)が刻まれています。左には「崇禅古刹」と刻まれた寺号碑がありました。崇禅寺は臨済宗妙心寺派の寺院です。
山門下に扁額が掲げられていましたが、薄くて読めませんでした。(^^;)
山門横にありました駐車場に「縁起と現在の境内図」と「崇禅寺境内古絵図」がありました。境内図があると後から何の建物だったんだろう?と考えなくていいので嬉しいです

「崇禅寺は、美濃国守護土岐頼貞の孫にあたる妻木城主土岐明智彦九郎頼重が、文和三年(1354年)に夢窓国師を勧請開山、果山禅師を開山として創建しました。その後代々の妻木城主の菩提寺として手厚い保護により、この地方屈指の禅寺として栄えました。江戸時代には六九石の寺領を持ち、境内には代々の城主の菩提を弔う十一の塔頭がありました。
崇禅寺には岐阜県指定文化財の釈迦如来立像、夢窓国師筆「果山」、此山妙在墨跡をはじめとして多数の文化財が所蔵されています。
左の絵図は、江戸時代中期の元文寛保年間頃(1740年頃)に描かれた崇禅寺の古絵図をもとにしたものです。
境内には妻木城主の菩提を弔う清閑院や長寿院などの塔頭をはじめとして多くの建物があります。南は妻木川にかかる大橋を渡って妻木城の士屋敷・御殿跡に続きます。北側には氏神である八幡神社と社僧の円光山大鏡寺八幡院(天台宗・廃寺)があります。」 と書かれています。
石畳の参道と石段の先には、また門があります。
境内を囲んだ黄色い塀部分の門には檜皮葺(たぶんです)入母屋造りの「鐘楼門」がありました。鐘楼門の扁額は山号が書かれていました。
鐘楼門からの境内全景です。晴れていたらさぞ美しかっただろうと思える素晴らしい寺院です。ここを右に進みます。
正面に大きなイチョウの木(たぶん)があります。イチョウの右には中門があります。
中門の正面には「唐門」もあり、ここを真っ直ぐ通ると本堂正面に出る配置です。
イチョウの木の右奥に「蔵」が2棟あります。崇禅寺には多数の文化財が所蔵されていると、先の縁起に書かれていましたので、2棟もあるのかなぁ(^^;)
境内の右手にありました「庫裡」はまだ新しそうです。
玄関もかなり新しいので、庫裡と同時に改修されたのでしょう(^^)/
右に行くと庫裡・書院で、左側が本堂になります。
桟瓦葺き入母屋造りの本堂全景です。御本尊は釈迦如来になります。
広縁前から外陣、内陣までを1枚パシャ
。 外陣前の広縁にあった扁額には寺号の「崇禅寺」と書かれていました。本堂内にてお参りをさせていただきました<(_ _)>

最初の
写真は、本堂前の境内庭園です。右に唐門、奥に庫裡が見えます。

2枚目は本堂西側からの境内庭園です。枯山水が綺麗に整備されており、鐘楼門前のソメイヨシノが満開で花を添えていました。
本堂西側には、屋根のある通路を通って「位牌堂」に行けるようです。通路の横にある門の中には「妻木城主廟所」があるのかな?(境内図による)
本堂西側の2棟は、右側に「観音堂」と、左が「開山堂」になります。
開山堂の横には「施無畏塔」(せむいとう)と書かれ、観音様をお祀りしています。
境内に西側には「茶室」がありましたが、大きい寺院なので、茶会とか行事で使われるのでしょうか?ちょっとその辺はわかりません。。。
西側の一段下がった所に、修繕中の「稲荷堂」と、その奥に「隠寮」と呼ばれる建物があり、知らないので調べてみましたら「師家または長老の居所。」だそうで、寺院関係者のお住まいとして使われていたのかな?
今回は突然の訪問にもかかわらず快く案内していただき、御朱印もいただくことができ、誠にありがとうございました。
場所:崇禅寺





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