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大人の事情 ~御朱印ライフ~

付き合いで始めた寺社(御朱印)巡り、今じゃ週末のライフワークになりました~♪

2021 04/20

[岐阜県] 桜と花桃が彩る 土岐高山城跡


今年に入って緊急事態宣言が出され、しばらく寺社巡りもできませんでしたが、先日ようやく約3ヶ月ぶりに行くことができました(^_^)v

まずは、仕事場から程近い場所になります『土岐高山城跡』(ときたかやまじょうせき)に行ってきました~(^^)/
かなりわかりにくい場所で、地元民しか来ないんじゃないかと思うような所でしたが、お城(跡)だけあって見晴らしは良く、桜と花桃の名所と言うこともあり、結構な人が観光に来ていました。

奥の柵前に駐車場はありましたが、知らなかったので手前の道路脇に数台駐まっていた所に駐車して看板の示している城跡に歩いて向かいます。

土岐高山城跡 頂上




車を駐車した場所には「土岐高山城跡の森」と書かれた案内図がありました。楕円で白抜きされた部分が森の範囲になるようですが、あまりに広範囲なので今回は城跡の近辺だけを紹介します。

土岐高山城跡 案内図




柵前が駐車場になっていますが、駐車場手前には「堀切跡」の石碑も発見! 次に高山城跡の説明板がありますが、そこにある見取り図でいくと「三の曲輪」前の堀切になるようです。ってことは「三の曲輪跡」に駐車場があるみたいです…(^^;)

土岐高山城跡 駐車場

土岐高山城跡 堀切跡




(土岐)高山城跡は土岐市指定史跡のようです。内容は、

土岐高山城跡 看板①

「立地 高山城は、土岐川の氾濫原を見下ろす標高183mの細長い丘陵に立地しています。麓からの比高差はおよそ57mで、通称サバといわれる砂岩層の断崖上に築かれています。
 構造 現在は水道貯水池が築かれており、当時の構造は知ることは出来ませんが、三つの曲輪によって構成されていたといわれ、北端や南端に曲輪の名残りを留めています。
歴史 高山城の築城については、諸説あり判然としませんが、高山伊賀守光俊、平井宮内少輔光行らが城主であったと伝えられています。天正二年(1574)光行の子平井頼母光村が城主の時、甲斐の武田勝頼の東濃攻めによって攻略され、その後、慶長五年(1600)関ヶ原の戦いの際に、東軍妻木勢によって攻められ落城したといわれています。」

意外と歴史が古いので、詳しいことはあまりわかっていないようです。




柵手前には「三の曲輪跡」の石碑がありました。

土岐高山城跡 三の曲輪跡




ここより先は車は入れないようにバリケードが置いてありました。バリケードには「桜と花桃 春爛漫」と題して、3/27~4/4で夜桜ライトアップを行っていました。

土岐高山城跡 入口




中にあった看板には先程の歴史より若干細かく書かれていました(^^;)

土岐高山城跡 看板②

「高山城は鎌倉時代から戦国時代にかけ土岐市北部の中心的存在でした。
 美濃源氏である土岐光行が浅野館を構えた承久の乱の頃に土岐氏の一族高山伊賀守秀頼が城を創建したと言われています。
 戦国時代には平井頼母が城主となりました。高山城は織田信長と武田信玄、勝頼との領土争いの境界線上に位置し激しい戦いが繰り広げられました。」




城門と言うにはあまりに粗末ですが、雰囲気は出ます(^^;)
門前には散策マップが置かれた小さい鳥小屋のような木製ラックがありましたので、パンフレットなどの資料もいただいてきました。

土岐高山城跡 門

土岐高山城跡 パンフレット




門横には「高山城址」と刻まれた大きな石碑がありました。

土岐高山城跡 城碑




本丸のある「一の曲輪跡」は一段高い位置にあります。

土岐高山城跡 石段




「一の曲輪跡」は結構広い敷地となっています。一の曲輪内には休憩小屋や物見櫓があります。敷地の真ん中には石碑もありました。

土岐高山城跡 一の曲輪

土岐高山城跡 一の曲輪跡




手前の休憩小屋には「桔梗亭」の額が掲げられています。岐阜県土岐市の花が「桔梗」(ききょう)なので、そこから命名したのかな?(^^;)

土岐高山城跡 休憩小屋




奥の「物見櫓」についても「桔梗櫓」(ききょうやぐら)の名が付けられていました。櫓の上は展望も良く、土岐市街が一望できました(^^)/
フェンス下には色鮮やかなピンクの濃淡が美しい花桃が満開です。

土岐高山城跡 物見櫓

土岐高山城跡 眺望①

土岐高山城跡 眺望②




物見櫓の奥には「井戸跡」の石碑がありました。一の曲輪跡の一番奥から櫓側を撮りましたが、もうちょっと天気が良ければ映えたんですがねぇ~(-_-)

土岐高山城跡 井戸跡

土岐高山城跡 一の曲輪全景




一の曲輪から三の曲輪側を見ると、桜が満開です。
所々にライトアップ用の照明が配置されていました。

土岐高山城跡 一の曲輪から三の曲輪




三の曲輪にありました「穴弘法」(あなこうぼう)への道が示されています。東の谷側に降りたところまで向かいます。

土岐高山城跡 穴弘法入口

土岐高山城跡 穴弘法道中




「古城山穴弘法大師」と呼ばれる穴弘法は、山の岩盤をくり抜いた場所に仏像が安置され祀られた場所のようです。

土岐高山城跡 穴弘法①

土岐高山城跡 穴弘法②

土岐高山城跡 穴弘法説明板

「穴弘法は戦国時代にこの地で命を落とした人々の霊を弔うため元禄元年に開創された「古城山慈光院」の跡です。
 慈光院は二代の住職が続いたのち廃寺となり、その後荒れていましたが明治時代に地元の人々の力で「古城山遍照閣」として再興され、弘法様として信仰を集め今日に至っています。
 岩肌に穴を掘り石仏を収める様式は鎌倉時代の「やぐら」に類似し、古くは高山城の武将の墳墓が存在したと推定されます。」

こちらもどうやら様式的に鎌倉時代に合うようなので、高山城と同じ時代にあったようです。弘法大師がここに来たかどうかの史実は書かれていませんでした(^_-)



山を下りて麓にある大竹醤油醸造場さんで御城印を購入しました。
土岐高山城跡


場所:土岐高山城跡


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