2021
03/26
金
前回紹介した"室生寺2"の続きで、
今回も『室生寺』(むろうじ)の3回目になります(^^)/
国宝の五重塔左側を奥に進むと「奥の院」の看板がありました。
奥の院はここから歩いて15分くらいかかる場所にあり、杉の大木やシダ植物のある原生林の中を進んでいきます。開山は9:00からで、閉山は15:30となっていました。
石段を下りたり、上がったりとアップダウンの激しさから、五重塔で引き返す人も多い中、
天候にめげず頑張って行ってきました(^_^)v

しばらく行くと朱塗りの反橋「無明橋」がありました。
その脇に立つ注意看板には「天然記念物室生山暖地性シダ群落」と書かれており、この無明橋右側辺りに群生しているようです。
「この地帯には、イヨクジャクやイワヤシダ、オオバハチジョウシダなど暖地性シダが群生している。この群生はわが国のこれら暖地性シダの分布の北限にあるため昭和三年十一月三十日天然記念物に指定された。」
更に歩みを進めると「ちょっと一休み」書かれた場所に手水舎がありました。身を清め、休もうとしたら、「マムシ注意」の看板を見つけてしまい(°0°) 休憩せずに上に上がることに(笑)
ここからは更に急な石段を上がり、ようやく奥の院の建物が見えてきました(^^)/
最初にありましたのは、懸造(かけづくり)の建物(崖などの急な斜面上に建築物を建てること)で、昭和初期に造られた「常燈堂(位牌堂)」(じょうとうどう(いはいどう))です。京都の清水寺なんかも同じ造りですね~!
汗だくで奥の院に到着です。(^^;)
奥から常燈堂の全景を
撮りましたが、狭いスペースなので御影堂は右端に屋根だけです。


北側入口の上に掛けられた額には色鮮やかに「地獄絵図」が書かれており、位牌堂ならではの奉納品というのがわかります。
東側の入口には「金剛殿」と書かれた扁額がありました。別称でその名前もあるようです。
扉に書かれた落書きが見て取れますが、そういう悪戯をする人もいるんだとちょっと残念な気持ちになりますねぇ~…
建物西側からは山の下の集落がうかがえます。意外と登ったんだなぁとわかりました(^^;)
西北の山の斜面にありましたのは、諸仏出現岩の頂上に建つ「七重石塔」で、平安時代後期の石塔です。
常燈堂の北側にありますのは、国の重要文化財である「御影堂」(みえいどう)です。弘法大師像を祀り、板葺き二段屋根の宝形造りで、屋根頂点には露盤宝珠が据えられています。各地にある御影堂(大師堂)の中でも最古の堂の一つになるようです。
御影堂前にてお参りをさせていただきました<(_ _)>
ここまで室生寺の縁起看板等がなかったので紹介してきませんでしたが、室生寺の歴史としては以下になります。
「奈良時代末期、皇太子の山部親王(後の桓武天皇)の病気平癒の祈願のため、五人の僧がこの聖なる山中で祈祷をして優れた効果がありました。そうしたことから国家の為に建立したのが室生寺です。伽藍の造営に当たったのは興福寺の高僧修円で、平安時代初頭の仏教界を代表する僧でした。その後、興福寺の法相宗を始め天台・真言・律宗などの高僧を迎え、山林で修行するかたわら各宗を勉学する道場として栄えます。しかしその一方では、龍が住むという山中の龍穴などから龍神の信仰が生まれ、これに雨乞いの祈願をするため、平安前期以来度々朝廷から勅使が派遣されました。
また女人高野と呼ばれていますが、高野山が女人禁制に対し、ここ室生寺は女人にも開いたことからそう呼ばれるようになりました。」
奈良寺社ガイドより
御影堂の右奥にあります納経所にて「弘法大師」の文字がある御朱印を頂きました(^^)/
場所:室生寺(奥の院)





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