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大人の事情 ~御朱印ライフ~

付き合いで始めた寺社(御朱印)巡り、今じゃ週末のライフワークになりました~♪

2021 02/24

[静岡県] 日本100名城の一つ 東近江の掛川城 前編


今回は高山御朱印行脚から1週間後の日曜日、静岡県の掛川市に行ってきました(^^)/

もちろんまだコロナが落ち着いていた緊急事態宣言前のことなのでご心配なく(^_^)v
まず最初に行きましたのは静岡県掛川市にある『掛川城』(かけがわじょう)です。

急にこっち方面に行きたいなぁと思い、出掛けて来ちゃいましたので、調べることもなく到着したんですが、駐車場が見当たらなく周りをウロウロして、結局有料の「大手門駐車場」に停めました。
後から調べましたら、城の北側に30分100円の「掛川城公園駐車場」と言うのがあるのがわかりました。ですが大手門とは真逆の位置にあるので、料金も同じですし結果良かったのかなと思います。

駐車場から北側の道路に出ると左手に「掛川城大手門」が見えます。

掛川城 大手門

朝は晴れていましたが、ちょっと雲が多くどんよりとした天気が惜しかったかなぁ(-_-) 天守上る頃に若干晴れていい写真が撮れましたが、夕方前には雨に降られた日となりました(^^;)




「掛川城 大手門、大手門番所」と書かれた標がありました。

掛川城 大手門碑




綺麗な大手門でしたが、復元されているようです。

掛川城 大手門説明板

「この門は掛川城の城内に入る最初の門として天守閣と共に掛川城の威厳を示すに相応しい最大の門です。
 天正十八年(1590)より慶長五年(1600)まで在城した山内一豊が中町に開かれた松尾口の大手筋を連雀町に移して大手郭を造り、その正門として設けたものです。建物は楼門造りの櫓門で間口は七間(約十二・七米)、奥行は三間(約五・四米)、棟までの高さは三八尺五寸(約十一・六米)、二階は漆喰塗篭造りで格子窓付きの門櫓をおき、庇屋根を付けています。一階の中央には一間半開き(巾約二・四米、高さ約四・三米)の門扉、左側に一間(巾約一・二米、高さ約二・二米)片開きの通用口の潜り戸を設けています。鏡柱は二尺二寸(約六六糎)に一寸五尺(約四五糎)もあり、冠木、梁、垂木等も総て大きな木材を用いた壮大な造りです。冠木下の高さが十四尺六寸(約四・四米)もあるのは乗馬のままで通行出来るためです。嘉永の地震(1845)で倒壊し安政五年に再建されましたが、明治になって廃城になり民間に払い下げられ火災に遭い焼失しました。元の位置は連雀町裏の堀を渡ったところ(交差点南、道路表示部分)で、区画整理事業により基礎の根固石を発掘調査し、規模を確認しましたが、元の位置では道路と家屋に支障を来たし、止むなく五十米北側に創建当時の姿に復元しました。
 この発掘で門を囲む桝型の築地と共に番所の遺構も発見され、移築保存されていた大手門番所を旧地と同じ位置関係に全体的に復元しました。
 大手門から見る天守が一番美しいといわれます。この付近から大手門と共に天守をご鑑賞ください。」



上の説明書きによりますと、この50m手前にあったそうですが、確かに信号交差点付近だったので移築したのも当然ですなぁ(^^;) 豪華な本瓦の上にしゃちほこと下り棟の鬼瓦が目に付きました。

掛川城 大手門斜め




大手門の北側にありました「番所」です。一時居宅として別の敷地にあったそうですが、大手門復元に合わせてこの地に復活したようです。

掛川城 番所

掛川城 番所説明板

「大手門番所は、城の正門である大手門の内側に建てられ、城内に出入りする者の監視や警備をする役人の詰所です。嘉永七年(1854)の大地震で倒壊後、安政六年(1859)に再建されたのが現在の建物です。
 明治初年、掛川藩の廃藩に際し、元静岡藩士谷庄右衛門が居宅用として譲り受け、別の場所に移築しましたが、昭和五十三年(1978)に谷家より市へ寄贈されました。大手門に付属した番所が現存するのは全国的にも珍しく、昭和五十五年(1980)市の文化財に指定されました。
 発掘調査により掛川城大手門と番所の位置が正保年間頃(1644~1647)に描かれた正保城絵図のとおりであることが明らかになったので、平成七年(1995)周辺の区画整理により、本来の位置から約五十メートル北に大手門を復元することにともない、それに合わせて番所を配置し、現在地に移築・復元しました。」




番所の北側にある「三光稲荷」は掛川城の鎮守として勧請されたんでしょうねぇ~(^^)/

掛川城 三光稲荷




大手門の北側にあった「逆川」()に沿った道路を進むと橋に出ました。木の上に見える屋根は掛川城の「太古櫓」です。公開はしていないようです。

掛川城 橋




橋を渡った城郭の角にあった説明板です。掛川城周辺案内がありましたので確認して中に入ります。

掛川城 周辺案内




入口前ですが、写真を撮っている場所は向かいにある「三の丸跡」になります。階段を上がった先にあるのは「四足門」です。奥に見えるのが「天守閣」になります。天守閣は望遠でも1枚!
掛川城はタイトルにもありますが、日本100名城の一つとなっており、木造復元された美しいお城となっています。

掛川城 二の丸から全景

掛川城 二の丸から望遠




石段塀の横には「掛川城公園」の石碑がありました。

掛川城 城碑





掛川城の本丸内は天守閣に上がるまでの通路が塀で覆われているので中々本格的に復元がされているように感じました。
「四足門」に書かれていた説明では、調査で門の跡は見つかっておらず、正保城絵図を元に復元されたようです。四足門は本丸に通じる重要な門だったようです。

掛川城 石段と四足門

掛川城 四足門




門をくぐると左手に券売所がありますので、天守閣と御殿の入館で大人410円を購入します。右隣の建物はトイレだったかな…

掛川城 券売所




券売所前から見た天守閣です。こういう場所では着物のお姉さんが様になります(^^)/

掛川城 券売所から天守




外ですが模型がありました…陶器とかセメント系でできているのかな??
とりあえず現在は赤い矢印の辺りにいます。

掛川城 模型




本丸広場を左手に見ながら石段を天守閣まで上ります。本丸広場は木々や花々でいっぱいです。春に訪れると綺麗そうです(^^)/

掛川城 二の丸から通路

掛川城 本丸広場




結構石段はきつかったです(^^;) 天守閣のある場所の手前にも門がありますが、ここをくぐるとゴールです。

掛川城 城郭通路

掛川城 城郭前門




天守閣です。門からの距離が近いので広角で撮りました(^^)/

掛川城 天守閣

天守閣の概要は次回にお伝えしますが、入口に付櫓を設けたりして外観を大きく見せています。また形が非常に美しいです。





見た物が多く写真の枚数が多くなってしまったので今回はここまでとします。次回は天守閣からの眺望や内部展示などの報告に、国の重要文化財である「二の丸御殿」を見てきましたので乞うご期待(^^)/
御城印も次回にお届けします。それでは!



場所:掛川城



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