2021
02/14
日
照蓮寺(高山別院)に続いて高山での最後となりましたのは、
『素玄寺』(そげんじ)です(^^)/
先に伺った大雄寺から200m位南西に行った場所にあります。
境内は小高い丘の上にあり、道路沿いの入口には門柱が2本立っていました。
入口の右横にある観音堂に「松倉山馬頭観世音菩薩」と書かれたノボリがあります。本尊は馬頭観世音菩薩で、飛騨三十三観音霊場第四番札所となっています。
「本尊馬頭観音像は慈覚大師の御作と伝えられ毎年8月9、10日の縁日には市郊外の松倉山観音堂に移されて、昼夜を徹して法要が行われ、『松倉絵馬市』が開かれ賑わいを見せる。参詣者は紙絵馬を買い求め家内安全・商売繁盛・交通安全を願って家の入口に貼る。夏を彩る風物詩となっている。(国文化財)」
入口すぐの所にあった石碑は、うっすらとなっていますが「素玄寺」と刻まれた寺号標のようです。
美しい山門です。他の方が撮られた
写真を見ると、
紅葉と相まってもっと美しいんですが、もう紅葉の最盛期が過ぎちゃったのかな?(^^;)


山門の扁額には金字で「高隆山」と山号が書かれています。
素玄寺は曹洞宗の寺院になります。
山門入って、ちょっと左向きの石畳正面が玄関です。その左が本堂になります。
右に向くと庫裡があります。左側の玄関がある所に納経所と書かれた看板がありました。
横に長い本堂なので、ちょっと後ろに下がらないと全景が
撮れません。。。

本堂の向かい側にありました手水舎にて身を清めてお参りに進みます。
境内の北西端にありました鐘楼堂です。
素玄寺の沿革看板がありました。
「素玄寺は、慶長十三年(1608)八月十二日、京都伏見で没した高山城の初代城主金森長近の菩提を弔うために、二代可重が建てた曹洞宗の寺院である。長近の法号「金竜院殿前兵部尚書法印要仲素玄大居士」にちなんで、素玄寺と称した。
当寺にのこる文政二年(1819)の書上書によると、寛永年間(1624~1644)に炎上後、 寛永十二年(1635)高山城三ノ丸にあった評議場が移築されたとある。
化粧屋根裏の正面一間通しの板廊下は、元は入ロ土間であった。さらに一間半の長廊下を隔てて、中央に大間と内陣、その右側に四室、左にニ室の平面を有するこの本堂は、もと大名の屋形を物語るにふさわしい書院造の遺構である。
高山藩主金森氏ゆかりの寺として知られ、金森長近が用いていた軍扇や采配等のほか、肖像画を所蔵している。寺内の観音堂にある馬頭観音は飛騨三十三観音霊場の四番札所本尊となっている。」
銅板葺き入母屋造りの本堂は市指定文化財となっているようです。
鐘楼堂前からの本堂全景を標準レンズと広角で撮りました。御本尊は釈迦如来です。
本堂の裏側は霊園となっています。素玄寺庭園と言うのがあるそうなんですが、どの場所なのかわかりませんでした(^^;)
素玄寺本堂前にてお参りをさせていただきました<(_ _)>
入口の扁額はなんて書いてあるんだろう~。。。
庫裡の納経所にて御朱印をいただいて参りました。
場所:素玄寺


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BEFORE「[岐阜県] 高山市 真宗大谷派高山別院 照蓮寺」
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