2021
02/09
火
高山市の御朱印行脚もあと2ヶ所となりました。
雲龍寺に続いては、鉄砲町にあります『照蓮寺』(しょうれんじ)です(^^)/
入口は国分寺通りに寺号標があり、その石柱に「真宗大谷派 高山別院」の表札が掛かっていました。
境内の入口に大きな山門があります。境内の中に広い
駐車場がありますので、左側にはフルオープンの入口に駐車料金精算所があります。

銅板葺き唐破風の屋根は緑青が出て風格があります。屋根下にある大きな扁額に山号の「光曜山」と書かれています。御坊の提灯もありますが、ここ照蓮寺は「高山御坊」(たかやまごぼう)や「ひだご坊」の別称で呼ばれることが多いようです。
山門を入り、広角で正面全景を
1枚!

広い参道の正面に建つのは本堂になります。本堂は昭和30年(1955)に放火により焼失しているようで、鉄筋コンクリート造で再建された物のようです。
境内の西側
大型駐車場内に鐘楼がありました。

先程の境内参道の途中に「嘉念坊善俊上人」と刻まれた石碑がありますが、ここ照蓮寺を開基された方で、親鸞のお弟子さんだったようです。
銅板葺き入母屋造りの大きな本堂です。
本堂向拝の柱に「真宗大谷派 高山別院」と「飛騨御坊」の札が掛かっています。
賽銭箱の前でお参りをさせていただきました<(_ _)>
照蓮寺の沿革がありました。
「後鳥羽天皇第一皇子嘉念坊善俊を開基とする。白川郷鳩ヶ谷、中野を経て、天正年間飛騨を平定した金森長近懇請により、寺域を定め、伽藍を確立し、飛騨国内真宗信徒の中心道場となる。元禄十六年十七世一乗が寺を東本願寺に献じ、本山懸所となり高山御坊と称した。
明治に至り高山別院と改め、本山任命による輪番制によって御給仕を続けている。火災による六回の難を経て止むなく現在の耐火建築を採った。」
と書かれていました。
大きな庫裡(社務所)です。こちらも鉄筋コンクリート造でした(^^;)
角に受付みたいな場所があり、そこで御朱印を書いていただきました。真宗大谷派は普通書かないんですが、ここは書いてくれるようです。

御朱印
場所:照蓮寺(高山別院)


励みになりますので、よければポチッとお願いします(^^)/

この記事と関連する記事
AFTER「[岐阜県] 高山初代藩主金森長近の菩提寺 素玄寺」
BEFORE「[岐阜県] 高山市 室町時代の庭園を持つ 雲龍寺」
COMMENT