2021
01/20
水
高山市の訪問地も今回のブログで5ヶ所目になります(^_^)v
飛騨国分寺の参拝を終え、境内東側の道路を北に500m程向かった場所に
『飛騨総社』(ひだそうじゃ)がありました。飛騨総社とは高山市を含む飛騨地方の神社18社をまとめて合祀した総社です。
境内の裏側に着いたので、道路2本分東にある入口に行きました(^^;)
入口には石製の大きな神明鳥居がありました。
珍しく一の鳥居後ろにあった巨大な石の社号碑には「飛騨總社」と【総】の字が旧字で書かれていました。
二の鳥居も石製の神明鳥居です。二の鳥居手前に左側に
駐車場がありました。

その
駐車場に背が高く、胴を石積みした古そうな燈籠がありましたが、由来などはわかりませんでした。

道路が一本、参道を横切る形であり、三の鳥居がある入口からが境内になります。
屋根付きの社号碑が三の鳥居手前にもありました。
境内の左側には、高山祭りの際に出る「神楽台」(かぐらたい)が納められた蔵のような建物がありました。
神楽台の前から境内全景です。右側は社務所です。
社務所玄関前に御祭神と由緒が書かれていました。
「水無神、槻本神、荏名神、大津神、荒城神、高田神、阿多由太神、栗原神 以上式内八座
大歳神、走淵神、四天王神、遊幡石神、渡瀬神、道後神、気多若宮神、本母国津神、剣緒神、加茂若宮神 以上式外十座
斐陀國造祖大八椅命
右ハ此国二深キ由緒アル大神等ニテ古ハ朝廷ヨリ祈年國幣ヲ供進シ神階ヲ奉授シ又國守ハ…」
と書かれていました。正殿の主神があとに書かれている「大八椅命」で、脇殿が八座、十座で書かれています。由緒はちょっと読めなかったので、岐阜県神社庁に書かれていた由緒を貼っておきます(^^)/
「朱雀天皇承平年間創祀。明治四年九月十二日縣社に列し、維持五年四月五日郷社に明治十三年七月十日縣社に復す。朱雀天皇の御代承平年間飛騨國国司国内の官社を当地(国府の古跡当域内に存す)に勧請し、總祭して世々祭祀を努め来りたり。按ずるに当神社は飛騨の国司が所載の班幣を執り行へる齋場(總社考に神祇式に云ふ祭日並びに神祇官又は總社或同に云嵯峨天皇弘仁年間列国国衙に斎場を設くと)なりしが、醍醐天皇延長年間より国々に總社創設あるに準じて設くと。国司巡検の制を改め、遂に恒例の儀式をも此処に修むるに至れるなりと降って文治二年五月社殿の修理を営み建長四年四月幣帛共進の令旨を賜り建武元年五月社領の更正せられしも応仁以降戦乱の為神領は奪はれ頗る荒廃に帰せしが、寛永五年八月金森出雲守重頼令して本社を再建し降って寛文五年五月修造天明二年八月本殿拝殿再興ありしも構造縮小して旧観を失ひ總社の森大菩薩宮と称せり。文化十四年八月國人田中大秀之を慨し飛騨總社考を著し、之が動機となりて文政三年三月社殿を再建した。古例の如く竣工せり。明治二十三年社殿の改造昭和五年三月本殿造営あり。」
正面の一段高い場所にあるのが神門です。
神門左手前の手水舎にて身を清めました。
ここの神社もコロナ対策で柄杓がありませんでした。
神門に掛けられている紫幕には菊の神紋(八弁菊花紋)が書かれています。扁額には「飛騨惣社」と書かれています。飛騨総社は通称を【惣】の字を使った惣社(そうじゃ)と言うようです。中には入っていけないような雰囲気でしたので、神門にてお詣りをさせていただきましたm(_ _)m
神門より社殿(拝殿)を見ています。
社務所にありました授与所にて御朱印を書いていただきました。
御朱印拝受時に疫病除けとして、こちらで書かれた「アマビエ」の朱印(印刷)も頂きました~(^^)/
御朱印
場所:飛騨総社


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