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大人の事情 ~御朱印ライフ~

付き合いで始めた寺社(御朱印)巡り、今じゃ週末のライフワークになりました~♪

2021 01/15

[岐阜県] 高山市随一の古刹 飛騨国分寺


山桜神社のお詣り後は、
今回一番行きたかった場所『飛騨国分寺』(ひだこくぶんじ)です(^^)/

山桜神社からは商店街を北へ歩き、大通りの信号交差点を西に300m程行った場所に入口がありました。入口には大きな案内看板があり飛騨国分寺を紹介してくれていました。

飛騨国分寺 入口

飛騨国分寺 案内板

「飛騨国分寺の歴史は、古くは奈良時代までさかのぼる。現在、奈良時代の飛騨匠が造った建物を目にすることはできないが、境内には、七重塔の心礎や金堂の礎石(現在の本堂床下)が残り、その規模から飛騨匠の木工技術者としての技術の高さを想像することができる。
 その技術は後世にも脈々と受け継がれ、室町時代には本堂が、江戸時代には三重塔が造られた。また、本堂には「飛騨匠の祖」として崇敬を集める木鶴大明神・藤原宗安像が安置され、千年以上にわたる飛騨匠の歴史が刻まれた場所となっている。」

1,300年の歴史がある「飛騨国分寺」を一緒に見ていきましょう(^^)/




案内看板の後ろにあったのは天然の石を使った寺号標です。「聖武天皇勅願所 國分寺」と刻まれています。奈良時代の聖武天皇勅願と言うことは、その時代かなり重要な場所だったことが感じられます。山号は醫王山、高野山真言宗の寺院になります。

飛騨国分寺 寺号碑





入口から30mくらい中程に山門があります。横にあった説明板には「国分寺表門」とありました。銅板葺き切妻屋根の四脚門で、市の有形文化財に指定されています。

飛騨国分寺 表門

飛騨国分寺 表門看板

「元文四年八月、飛騨代官長谷川忠崇の手代小林儀右衛門ら四名の寄進により、飛騨の名工松田太右衛門が建てた。
 冠木(かぶき)上に架せられた板蟇股(かえるまた)や、腕木の繰り形にこの地方中期の好例を残しており、形態も美しい。
 当初基壇がなく、地表面上に建てられていたが、保存のため基壇が設けられた。
 昭和五十三年にはのし板葺であった屋根も現在の銅板葺に改められた。」



表門看板の横には飛騨国分寺の概要として、文化財の一覧が書かれていました。

飛騨国分寺 文化財看板





表門をくぐり中に入ると、色鮮やかな紅葉に彩られた境内でした(^^)/
(*訪問したのは昨年の10月中旬になります。)

飛騨国分寺 境内参道

飛騨国分寺 境内





石畳の境内参道にあるのは「鐘楼門」です。右手奥には美しい「三重塔」が建っています。

飛騨国分寺 鐘楼門と三重塔




高山市指定文化財となっている「国分寺鐘楼門」です。

飛騨国分寺 鐘楼門

飛騨国分寺 鐘楼門看板

「建築年代は安土桃山時代(十六世紀)とされる。屋根はもと柿葺(こけらぶき)あったが、昭和三十年に銅板葺とした。屋根の軒は一軒疎垂木、妻は木連格子である。上層は円柱で、簡素で力強い組物をもち、勾欄を廻す。下層は角柱六本で、それぞれに面取りがしてある。
 梵鐘(市指定文化財)には、永正十一年(1514)の古銘があり、もとは吉城郡荒城郷三日町(現国府町三日町)の十王堂の鐘であった。宝暦十一年(1761)、大萱村横山作助が、改鋳して当山に寄進した。
 国分寺の晩鐘は、飛州八景の随一として、
「国分霊地絶繊塵 雁塔今経幾許春 好是楼前視聴楽 暮鐘声裏月清新」(国分寺の境内は古びた三重塔がそびえ静かである。暮れゆけば鐘が鳴りわたり、月影清く美しい。)とある。」




岐阜県指定重要文化財となっています「三重塔」です。ここの伽藍の建物は殆どが銅板葺きとなっていて、この三重塔も珍しく銅板葺きの屋根となっていました。

飛騨国分寺 三重塔①

飛騨国分寺 三重塔②

飛騨国分寺 三重塔看板

「天平十三年(741)の詔勅により建立された塔も、弘仁十年(819)に炎上し、斎衡年中(854~857)に再建した。さらに応永年間(1394~1428)には兵火にかかったと伝えられる。その後再建されたが、戦国時代の金森氏が松倉城の三木氏を攻めた際に損傷し、元和元年(1615)、金森可重が三重塔を再建したと三福寺小池家文書「国分寺大平釘図」に記録されている。
 現在の塔は、寛政三年(1791)の大風で吹き倒されてから三十一年後、庶民の喜捨浄財金八百両と大工手間五千五百人工をかけて、文政四年(1821)ようやく竣工を見たものである。棟梁は三代目水間相模であった。
 昭和五十三年には、屋根の修理と自動火災報知設備、保護柵の設置を行なった。屋根は、建立当初柿葺であったが、大正十一年に桟瓦銅板葺に変更され、昭和五十三年には銅平板葺となった。
 飛騨では唯一の塔建築で、金剛界、胎蔵界の大日如来(真言密教の教主)を安置する。」




鐘楼門と本堂の間には国指定天然記念物である、巨大なイチョウがそびえ立ちます。

飛騨国分寺 大イチョウ

飛騨国分寺 大イチョウ看板

「本堂と鐘楼門との間に位置し、樹齢約千二百年の雄株で、枝葉密生し、樹間の所々に乳のような気根を垂れ、樹勢は盛んである。
 由来については、往昔行基菩薩の手植と伝えられる。俗に「乳イチョウ」の名があり、乳の出ない母親がここでお参りすると乳がよくでるといわれている。根元には石像が祀ってある。
 昔から、国分寺のイチョウの葉が落ちれば雪が降る、とも言い慣らされている。」

と書かれています。幹周りがホントに太く、樹高もあり株立ちも立派な大イチョウでした。




本堂右手前の水子地蔵前に、巨大な石を水溜にした手水がありました。
イチョウの葉が手水に色をつけています。

飛騨国分寺 手水





銅板葺き入母屋造り向拝付きの本堂です。飛騨国分寺の現存する建造物の中では唯一、国の重要文化財となっています。御本尊は薬師如来坐像でこちらも国の重要文化財に指定されています。

飛騨国分寺 本堂①

飛騨国分寺 本堂広角

飛騨国分寺 本堂②

飛騨国分寺 本堂看板

「奈良時代当時、七重塔、金堂、仁王門などを備えた壮大な伽藍があったと伝わる。『類聚国史』に「弘仁十年(819)八月飛騨国国分寺災」とあるが、その後近世まで記録がない。昭和二十九年、本堂の解体修理時に、建築様式と手法は室町時代中期以前、正面向拝と東側は桃山時代の修理であることがわかった。向拝等は金森氏が国分寺の再興を助けた際の大修理と考えられる。地下四十五センチメートルには、南北四間、東西七間の金堂と推定される建物の礎石が確認された。
 建物の柱、垂木、構造材は太い。外陣の虹梁は絵様がなく、板蟇股の断面も逆バチ型で室町期の様式を示す。」

とありました。本堂も奈良時代のまま残っていたら国宝なんでしょうねぇ~(^^)/




向拝の扁額には山号の「醫王山」の文字が含まれた「醫(医)王殿」と書かれています。
賽銭箱の前でお参りをさせていただきました<(_ _)>

飛騨国分寺 向拝





境内の左側は案合図によりますと、玄関のある方が「大師堂」で左側が庫裡になります。玄関の横にあった納経所にて御朱印を書いていただきました。
飛騨国分寺は飛騨三十三観音、中部四十九薬師霊場になっているようです。

飛騨国分寺 大師堂

飛騨国分寺 納経所




境内の全景を広角レンズで納めてみましたが、巨大なイチョウが目立ちました(^^;)

飛騨国分寺 大イチョウ広角

飛騨国分寺 境内②



御朱印
飛騨国分寺


場所:飛騨国分寺



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