2020
12/31
木
今回は御朱印拝受し始めて、初めて岐阜県高山市に行ってきました~(^^)/
高山市は「小京都」と呼ばれるくらい風光明媚な街として、全国的に岐阜市よりも有名な場所と認識(^^;)していますが、岐阜市からだと2時間くらい
車でかかるので県民ですがほとんど行ったことがなかった場所でした。。。

この回から約10回に渡り高山御朱印行脚の報告をさせていただきま~す(^^)/
まず最初に伺ったのは、『飛騨護國神社』(ひだごこくじんじゃ)です。
高山市の市営空町駐車場
に車
を駐車(30分150円)し、南に歩いて5分程度の場所にありました。


高山城三之丸のお堀だったところに架かる太鼓橋を渡った先に社号碑がありました。「飛騨護國神社」と書かれた社号碑の石は黒くなり、古さを感じます。
社号碑同様に、鳥居や狛犬も石が黒くなるほど歴史を感じさせてくれます。
鳥居をくぐった参道は石畳で、石段を上がった先の境内は石垣が積まれ、周囲を塀と入口に神門を設けています。
石段横に「飛騨招魂社」と書かれた石碑がありますが、これは護國神社の前身であった時(昭和14年以前)の社名になるようです。
神門は銅板葺きの切妻造りでできています。門は至るどころに千社札が貼られており、ここでも歴史を感じます。
神門をくぐってすぐの右手に手水舎がありましたので、身を清めました。
境内の東端に移動して、広角にて全景を1枚
!

左から「黄金神社」、「飛騨護國神社」で一番奥に見えるのが社務所になります。
敷地内にあるので「黄金神社」(おうごんじんじゃ)は境内社かと思いましたが、どうやら独立した別法人の神社のようです。
続いて黄金神社の隣、神門の正面が護國神社社殿になります。銅板葺き入母屋造りで向拝付きとなっています。
社殿(拝殿)の横に玄関を挟んで社務所となります。
正面から見た護國神社社殿の全景です。御祭神は飛騨地方の英霊6,525柱となります。
飛騨護國神社の由緒は、
「明治12年4月21日創祀。明治11年神宮教中教院は、飛騨神社所在地に神殿造建天照皇大神を齋祀すると同時に祖霊殿を併置して飛騨国内神道関係、公務員殉職者、文化功労者(西南役戦歿者、飛騨工匠を含む)の神霊を祭祀す。明治12年4月21日神殿落成遷座祭執行す。これ飛騨神社の発祥なり。 明治42年6月16日靖国神社御分霊を奉斎し、右祖霊殿祭祀神霊及び日清役日露役戦歿者の神霊を合祀して私祭飛騨招魂社を設立す。右設立者永田吉ェ門外247名 崇敬者戸数20,080戸 例祭毎年4月27日。受持神官上杉齋次郎奉職。大正4年3月12日受持神官田嶋壮次郎奉職。昭和14年4月1日飛騨招魂社を飛騨護国神社(指定外)と改称す。社司森本榮樹奉職同年11月4日本殿増築遷座祭を執行す。爾来例祭毎年5月3日11月5日春秋二回とす。昭和20年7月21日神社本庁に所属す。昭和21年10月30日飛騨護国神社を飛騨神社と改称する。右神社境内地は高山市城山公園の一部をなし世に忠孝苑と称呼す。」
飛騨護國神社と書かれた扁額がある向拝にてお詣りをさせていただきました<(_ _)>
境内の東にあった建物は神楽殿かなぁ?(^^;)
手水舎の横には授与所がありました。飛騨護國神社の他に飛騨大神宮と黄金神社の御朱印もいただけるそうです。
護國神社の御朱印です。
場所:飛騨護國神社


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