2020
11/01
日
長久手の景行天皇社に続いては、
車で10分くらい行った隣の日進市にあります

『岩崎城』(いわさきじょう)に行きました(^^)/
北側にある「岩崎城址公園」の
駐車場に
車を停め、公園入口から中に入りました。道中に色々ありますが、先に岩崎城の入口から紹介します。


岩崎城の入口は住宅街の中にあって、公園の南側にあるため
車の
駐車場もなさそうでした。そのかわり天守閣が眼前に見えるいいスポットになっていました。


石段前には「岩崎城」と刻まれた巨大な石碑も感じいいです。
石段の上には、石垣を抜いた形で門が設けられています。普通、天守閣の見学には観覧料が数百円かかりそうですが、ここは無料とかなり気前がいいです。
ここからの
写真は
駐車場入口側に戻りますが、入口に「岩崎城址公園・案内図」がありました。開館時間は9:00~17:00(入館は16:30)で、月曜が休館日のようです。結構広い公園なので、ウォーキングや散策に来られる方も多いみたいです。


城の概要が書かれた看板がありました。
「岩崎城は、室町時代末の平山城である。織田信秀(信長の父)により享禄年間(1528~1531)に築城され、その後、徳川(松平)方に奪われたのち、天文七年(1538)丹羽氏清が本郷城から移ったと言われ、以後、氏識・氏勝・氏次の四代に渉って慶長五年(1600)関が原の戦いの戦功により三河伊保(豊田氏猿投町大字上伊保)に一万石の小名として転封されるまでの六十二年間居城しました。
天正十二年(1584)小牧・長久手の戦いの際に、織田信雄・徳川家康連合軍の後方攪乱を狙った豊臣秀吉方の先鋒池田恒興隊を阻止して、城代丹羽氏重(傍示本城主)以下300余名が討死したことが織田・徳川軍を勝利に導いたと伝えられています。
城郭は、本丸、二の丸、東・西曲輪およびそれらを取り囲む堀や土塁等がよく遺存しており、昭和五十九~六十一年度までの発掘調査の結果貴重な資料が多数出土しました。」
1600年に廃城で、62年という短い期間しかなかったお城のようです。
道中には、「土橋跡」「二の丸」「隅櫓跡」、その他にも曲輪や土塁など遺構を紹介した看板などが彼処にありました。
公園内での岩崎城天守閣(模擬天守)です。1階部分からになるので、先程下から見た大きさとは若干イメージが異なります。
天守閣の右手には「岩崎城歴史記念館」があります。先にここでコロナウィルス対策をしてから天守閣に入れます。御城印もここで購入します。
当日は日曜だったからイベントやってたのかな? 「岩崎城刀劇隊」の皆さんが剣術体験をやっていたようです。
公園入口にあった城の概要とは違い、当時の岩崎城から現在の模擬天守に至るまでの経緯を建設誌という形で記されています。
北西側からの天守閣です。この右側にある入口から中に入ります。
内部は歴史資料館となっていて、資料や各種展示物が飾られています。
展望台からの景色です。山と住宅街だけなので…(^^;)
先程の歴史記念館と岩崎城刀劇隊がうかがえます。青いのは、「にわさきくん」って名前のご当地マスコットキャラクターです。
入口門を中側から見ています。
今回行くまで知りませんでしたが、無料なので是非皆さんも見に行ってみるといいと思うお城でした(^^)/
御城印 岩崎城主であった丹羽氏次の記念印もいただきました。
場所:岩崎城


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