2020
10/27
火
長久手市の石作神社に続いては、同じ長久手市西浦に鎮座する
『景行天皇社』(けいこうてんのうしゃ)に行きました(^^)/
まずは道路際にある
駐車場に
車を入れ、鳥居のある入口から入ります。


入口の右手に「景行天皇社」と刻まれた社号碑がありました。第12代天皇が神社名になっているのはかなりレアじゃないんですかねぇ~?(^-^;
鳥居くぐってすぐのところに手水舎がありました。コロナ対策で水は出ていませんでしたが、形だけ身を清めて進みます。
右手の慰霊碑を見て石段を上ります。
中段には「神馬」、「棒ノ手之碑」、「景行天皇社記」がありました。
「棒ノ手」とは、愛知県下において広く伝承されている農民武芸の民俗芸能です。先日伺った直会神社にも棒の手の石碑がありました。今回はいただいた御朱印(書置きのみ)にも棒の手の写真が入っています。(^^;
「景行天皇社記」には御祭神が「大帯日子淤斯呂和気命」(おおたらしひこおしろわけのみこと)と書かれていますが、これは日本書紀での名で景行天皇本人が御祭神となっています。日本武尊の父になります。由緒は、
「承和四年(837)齋藤氏が天皇御事蹟の長湫根ノ神に創建しその後大久手秙平良岐と移り長久手合戦の後の慶長九年(1604)城主の支援を得て此の地に御遷座しっと傳えられている。
天正年間には徳川家康が戦勝を祈願、葵紋太刀三振を寄進し、傳統行事として、氏子による警固祭、棒の手の奉納がある。
明治五年村社に列格、戦後宗教法人となり、昭和三十年代より改築修造を重ね、面目を一新した。」と書かれていました。
最上段の境内に到着です。正面には社殿(拝殿)、右手に神楽殿、左手に庫裏(社務所)があります。
境内の南側には竣工記念碑として大きな鬼瓦が飾られていました。
平成九年に社殿が新しくなったようです。
境内の右手にありました「神楽殿」です。桟瓦葺き入母屋造りの向拝付きとなっています。
右手奥には境内社(右から神明社、津島社、白山社)が三社並んでいます。
正面より社殿(拝殿)の全景です。社殿前が狭いのでギリギリ画角に入りました(^^;)
正面の紫幕にあるように、景行天皇社の神紋は橘紋になります。鬼瓦の真ん中にも金色に光る橘紋が伺えます。銅板葺き入母屋造りで唐破風の向拝付きとなっています。
景行天皇社と書かれた扁額のある向拝にてお詣りをさせていただきました<(_ _)>
拝殿奥にある本殿です。よくわかりませんが、こちらは流造かな?(^^;)
社殿左下にあります、社務所です。手前の授与所で御朱印をいただきました。
手前斜めから社殿全景です。形が美しいです(^^)/
御朱印は書き置きのみです。
場所:景行天皇社


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