2020
09/01
火
長引くコロナ禍ではありますが、そろそろコロナと上手に付き合う頃かなぁと思い、節度ある行動を心掛けながら一人外出してきました~(^^)/
まずは、自宅から最も近い場所にあるお城の『墨俣一夜城』(すのまたいちやじょう)に行ってきました(^^)/ 自宅からは
車で10分と近いですが、近すぎて一度も伺ったことがなかったのが不思議なくらいです(^^;)

河川敷にある「さい川さくら公園駐車場」に
車を
駐車して歩いて向かいます。犀川(さいかわ)に架かる橋の向こうに小さくお城が見えます。


さくら公園と言うだけあって、堤防道路は
桜並木になっています。春はかなり綺麗で観光地にもなっていて、
桜の開花時期には露店も出て大勢の人で賑わいます。


又、この堤防道路は「美濃路」(みのぢ)の旧街道になります。あの「松尾芭蕉」が詠んだ「奥の細道」むすびの地があるのが、ここ「墨俣宿」から次の「大垣宿」となります。
*厳密にはもうちょっと先に進んだ所からが美濃路ですが(^^;)
犀川に架かる橋は「太閤出世橋」と書かれています。この橋を渡ると城郭のある敷地になります。
橋が途中でクランクしている珍しい形をしていたので、橋の角地が城を撮る
絶景ポイントになっています。

太閤出世橋の終点には「木下藤吉郎秀吉の像」があり、天下人ゆかりのお城と言うことがわかります。
いただいた墨俣一夜城のリーフレットには、
「 永禄9年(1566年)、木下藤吉郎(のちの豊臣秀吉)が一夜にして築いたと伝えられる墨俣一夜城。その城跡に、当時の砦のような城ではなく、城郭天守の体裁を整えた墨俣一夜城(歴史資料館)が、平成3年4月に開館しました。
史実については、太閤記や断片的資料で概要を知る程度でしたが、昭和52年に愛知県江南市の旧家に伝わる前野家古文書の中から、墨俣一夜城に関する貴重な資料が紹介され、その全貌が明らかになってきました。」
と、書かれているように、現在の天守は模擬天守で今のような天守は築かれていなかったようです。まぁこれだけの姿をした天守を、わずかな期間で造るのは不可能ですよねぇ(^^;)
橋を降りたところに「墨俣一夜城」と刻まれた城碑があります。その横の石段上に天守の玄関がありますので、観覧に行きます。
玄関入って右手に受付がありましたので、入場料200円と御城印代300円の合計500円を払いました。天守は外観4層の5階建てとなっていて、5階は展望室です。
歴史資料館らしく、内部は数々の歴史資料や文化財が展示されていました。
展望フロアの北側からは長良川と
写真中央にこないだ行ってきた金華山(岐阜城)が伺えます。

西側は大垣の町と伊吹山が見えます。
南東側は犀川の
桜並木に、


内覧後、外に出て最初に目にしたのは、絵馬ならぬ「出世ひょうたん」です。豊臣秀吉の馬印・千成びょうたんにあやかって願いを叶えてもらうようです。ひょうたんはお城にて販売しているみたいです。
千成橋と書かれた西入口ですが、外観を損なわないように、支流の水門外壁も和風のデザインとなっていました。
西面と北面の一夜城外観です。
一夜城北側に鎮座する「白鬚神社」です。境内社として天守閣が築かれた際に、分祀された豊国神社があり、豊臣秀吉が祀られています。
当然、この公園となっている天守閣がある場所が一夜城跡となりますが、「一夜城祉」の石碑が東側にありました。又、「一夜城築城のこと」として
「木下藤吉郎の墨俣城築城は、太閤記、日本外史、新撰美濃志等多くの文献にみられますが、その概略を推測される範囲でしかありません。昭和五十二年、愛知県江南市の文化財保護委員瀧善義氏により紹介された、同市前野の旧家吉田龍雲家所蔵の前野家古文書は、企画・準備・押出・戦略・構築の状況が具体的に記録され、一夜城の謎を解明する新しい史料として注目に値します。ここに、その一部をご紹介いたします。」
と、一夜城築城の概略が図と共に記されていたことが書かれていました。
南東の堤防側からの全景です。四方を川に囲まれた天守閣は、砦という美濃侵攻の要衝になっていたというのは納得かも(^^)/
御城印
場所:墨俣一夜城


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