2020
05/07
木
前回紹介した摂社の岐阜信長神社(建勲神社)に続いては、
本社である『橿森神社』(かしもりじんじゃ)です(^^)/ 前回の橿森神社はこちら
入口にある朱色の両部鳥居が中々格好いいです♪
「橿森神社」と刻まれた社号碑です。あまり見かけない漢字「橿」(かし)は、常緑高木でブナ科の木になります。橿森と言うぐらいですから、背にある山の木は橿の木の一群なんでしょうかねぇ~
社号碑の横には、橿森神社と書かれた標号看板の裏に、楽市楽座ゆかりの地「御薗の榎」と商売繁盛「駒爪の岩」と書かれています。
Googleマップのストリートビューからお借りしてきました(^^)/
「御薗の榎」は織田信長が楽市楽座を開いた時に楽市場(上加納村御薗)に市神としてあったものを橿森神社前に移植したものだそうです。
「駒爪の岩」です。
神が駒に乗ってこの地にくだり、蹄の跡が残ったという言い伝えがある磐座だそうです。
鳥居をくぐり、境内参道の真ん中に小さな神橋(太鼓橋)がありました。参道左側に見えるのが岐阜信長神社になります。
社殿の手前右手には御神木の「たぶの木」がありました。照葉樹林の一種で年間を通し葉を落とすことなく太陽の光を受け反射し光り続けるそうで、結構珍しい木だと思います。
こちらは最も一般的に見られる明神鳥居の「二の鳥居」です。
社殿がある石段下の左側に縁起看板と、右側に由緒が彫られた石版がありました。
「御祭神は市隼雄命(伊奈波神社御祭神、五十瓊敷入彦命の皇子)で創建は第十二代景行天皇の御代であると伝えられている。
慶長五年(1600)に兵火、慶安二年(1649)に火災と両度の難に遭ったともいわれている。宝永三年(1706)の古地図によれば、現在の美園町と若宮町の十字路付近が参道の入口で西一帯は田となっている。
図中に美園の榎が示してある。「岐阜総構の内は内町、構の外は外町、南へは美園にて"市立市神"として今に榎あり」と江戸時代の資料に示された榎で織田信長が美園で開いた楽市楽座の市神がこの木の下に祀られたのである。
現在社前の榎は市の指定になっているが、美園の榎の孫に当るもので明治十一年十月、明治天皇御幸のため道路改修が行なわれた際、現在地に移植されたものである。この榎は神木化され"イボ"に対する民間信仰の対象となっている。
古来木扁に春夏秋冬がついた樹木は、神木化された例は多い。
境内に天明六年(1787)銘の石灯篭がある。瑞龍寺との関係がうかがわれる。
社殿の背後にある駒の爪岩は、大昔神人が駒にのってこの地にくだり、この岩に爪あとを残したといういわれからこの名が出ている。
市隼雄命のお墓は、各務原市蘇原の市林山の山頂に在る。」 縁起看板より
入口にあった社号碑よりかなり古そうな社号碑が、社殿を囲う玉垣の前にありますが、当所はここが入口だったのかな?
石段下から見た桟瓦葺き入母屋造りの社殿(拝殿)です。御祭神は先程の縁起にありました、「市隼雄命」で伊奈波神社御祭神が父で、母は金神社の御祭神で、子になります。
上からでは社殿手前が狭すぎて全景が
撮れませんが、超広角で
撮ってなんとか(^^;)


左の朱色の鳥居が並んでいる所が、末社の「末廣稲荷社」で、絵馬掛けの右側(社殿の左側)に、先程トリップアドバイザーで提供してもらった「駒爪の岩」が祀られています。
賽銭箱のある社殿(拝殿)前にてお詣りをさせていただきました<(_ _)>
社殿の右側には末社の「琴平神社」がありました。かなり年季があります。
境内の右奥に社務所がありましたので、御朱印をいただいて参りました。
御朱印
これで本日の「岐阜三社参り」は満願となりました。自宅から歩いた総距離15キロはかなり疲れましたが、気持ちのいい祈願となりました。
次回、「岐阜三社参り」をまとめたいと思います(^^)/
場所:橿森神社



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AFTER「[岐阜県] コロナ収束祈願 岐阜三社まいり」
BEFORE「[岐阜県] 織田信長を祀る 岐阜信長神社(建勲神社)」
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