2020
04/16
木
道路側の石垣の途中に入口と小さい鳥居がありました。扁額には「龍馬神社」と書かれた扁額が掲げられています。奥に見える建物が宮司宅になると思います。
右側の門石には表札代わりに「龍馬の写真」が入った表札もどきが取り付けられています。写真の上には坂本龍馬の家紋「組合い角に桔梗」紋がありました。
入口を入って左を向いた参道は石畳となっており、参道両際は石積みされとても綺麗に整備されています。
垣根の間には「龍馬神社」と書かれたノボリが掲げられています。
水は出ていませんでしたが、鹿威し(ししおどし)と手水鉢があります。
境内庭園には小さな池が造られており、赤い花の藪椿が咲いていました。
柵で囲われた社殿がある場所に入る所に「二の鳥居」がありました。
垣根がある道路側に簡易なおみくじ掛けがありました。
社殿の妻側が授与所(社務所兼)となっており、ここでおみくじやお守り、御朱印をいただけます。境内を見ていると宮司さんが来ていただけました。
かなり小ぶりな社殿(拝殿)です。桟瓦葺き切妻造りでまだ新しい社殿のようです。確認しましたら創祀は平成18年と伺いました。御祭神はもちろん坂本龍馬之命となります。
拝殿(向拝)にてお詣りをさせていただきました<(_ _)>
拝殿の壁に味のある字で行事案内・お知らせが書かれていました。
拝殿奥に本殿がありました。龍馬神社の御由緒は、
「当神社御祭神『坂本龍馬之命』は、天保六年十一月十五日、土佐国土佐郡上街本町に、土佐藩郷士:坂本八平直足の次男として生を受けました。
坂本家には家伝が二説伝わっており、内一説では家祖は武内宿禰の子・紀角宿禰を始祖とする「紀貫之」の子孫の内、大和国平群県紀里を本拠地とした紀氏とすると云うもの。
もう一説は、「明智光秀」の娘婿「明智左馬之助秀満」が家祖であり、天正十年近江国坂本城落城の後、明智左馬之助秀満が一子:明智喜三兵衛が長宗我部氏を頼って土佐国に落ち延び、長宗我部元親に仕えて坂本城の城主となり、姓を明智から坂本へと改めたとする説です。
この説による明智左馬之助秀満の前半生は不明なことが多いものの、主君明智光秀が美濃国明智城で生まれているところから、美濃国東濃地方の出身と考えられ、平成18年10月30日高知県高岡郡佐川町に鎮座されます本家『龍馬神社』より、御祭神『坂本龍馬之命』の先祖の地への里帰りと云う意味合いも込め、正式に御分祀給わり、日本で二番目の『龍馬神社』として当地:岐阜県中津川市千旦林にてお祀りしております。
当神社御祭神『坂本龍馬之命』は、幕末日本史に於いて傑出の偉人とも称されており、今を生きる我々の多くが憧れる英雄です。当神社はそんな『坂本龍馬之命』を御祀りして、その御神徳や御遺徳を賜り、今を生きる私達がどの様な困難にも屈することなく、未来に強い希望と信念を持って生きて行けますようにと、そんな強い願いが込められた神社です。」
と、書かれていました。(龍馬神社ホームページ要約)
授与所にて御朱印を書いていただきました。
場所:龍馬神社



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