2020
04/10
金
入口にあった社号標には「神明太一宮」と刻まれていました。
鳥居は石製の「伊勢鳥居」です。
鳥居の左側に由緒碑がありました。社格は懸社となっています。御祭神は天照皇大神・豊受大神・国常立尊と書かれていました。
御由緒は
「この地は鳥羽天皇奉献の神領地である。創立は永久(平安時代以前)である。
江戸時代以降尾張徳川家の崇敬殊に篤く社殿の造営等に多額の寄進があった。伊勢神宮との関係が深く北伊勢大神宮と云われて来た。
氏子崇敬者は五十三ケ村現在の岩倉市を始め四市三町にわたり当地方唯一の総社である。」 と、書かれていました。
鳥居をくぐって見た境内は砂利が敷き詰められとてもスッキリしていました。
境内の右手には池があり、真ん中に太鼓橋がありますが、池周りは柵がしてあり中へ行くことはできませんでした。
境内の左手には境内摂末社(稲荷社・子安社・白山社・天神社・津島社・市神社・猿田彦神社・出雲社など)が並んでいました。
境内も社殿前まで行くと、右に神馬、左に蕃塀がありました。
神馬の手前、池の北側に手水舎がありました。耐震補強が痛々しいです…(;^ω^)
東入り口がある参道に石鳥居がありました。
拝殿です。銅板葺き切妻造りで緑青が出ているので味があります。社殿周りは玉垣で覆われているので奥の状況は手前から覗くだけです。
拝殿を正面から見た全景になります。神前幕や拝殿前の提灯に「○に太一」の神紋がありましたので、何故かな?と廻りを確認してましたら、社号碑にも「神明太一宮」と「大一社」(だいいちしゃ)でなく「太一宮」と微妙ですが違っていました。どうやら「大一」や「太一」は神宮の造営のシンボルマークとされているようです。由緒にありましたが、ここにも伊勢神宮との関係深さが伺えました。
拝殿内です。幣殿から本殿までとても綺麗な感じで保持されています。
拝殿にてお詣りをさせていただきました<(_ _)>
拝殿東側にある境内社の「秀成稲荷大明神」です。
秀成稲荷大明神の参道を進むと本殿を見ることができました。
本殿はたぶん神明造だと思います。
東入り口の参道にあった鳥居際に「神楽殿」がありました。
例祭などで使われるのでしょうか??
神楽殿の横にあった社務所です。社務所は留守でしたが、社務所の向かいに神職のご自宅がありましたので、御朱印を書いていただきました。
御朱印
場所:神明大一社



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