2020
04/07
火
まずは、東側にありました
専用駐車場に
車を停めます。


西へ
歩いて行くと、線路
(名鉄犬山線)がある踏切手前に寺号標がある入口に出ました。寺号標には「格地 龍潭禅寺」と刻まれています。格地とは曹洞宗で「結制安居を1年に一会以上修行することのできる寺院」とのことです。



寺号標の裏側には「子安地蔵尊」がありました。
門柱のある参道際は垣根で綺麗になっていますが、左側は
線路です(^^;)

垣根のある参道を抜け広い場所に出ると山門と、塀廻りには種々の仏像がありました。
山門横のお堂には「釈迦涅槃仏」が祀られています。
まだ新しく綺麗な山門です。ちょっとみっともないですが、門前には仁王像が睨みを利かせています。右の柱には「建雲山龍潭寺」の札があり、山号が建雲山とわかります。左柱には「尾張三十三所観音霊場第十六番礼所」の札が掲げられています。この霊場は愛知県西部(旧尾張国)一帯に広がる観世音菩薩巡礼地で1955年(昭和30年)開創しています。
山門をくぐり境内に入ると右手に鐘楼と、その手前に手水の水盤がありました。
正面には本堂、右側に庫裏があります。
境内の左側は中高木のある庭園となっていました。
庭園の奥にあるお堂は何なのか、わかりませんでした(^^;)
本堂前には左から「修行中の釈迦像」、「水子地蔵像」、「白寿観音像」が祀られていました。
本堂の全景です。桟瓦葺き入母屋造りで流造で向拝屋根があります。御本尊は阿弥陀如来と尾張三十三所観音霊場の十一面観世音菩薩となります。
龍潭寺の縁起は、
「永正二年(1505)に、織田次郎三郎敏定が先祖津田家の供養のために建立し、心光寺と号した。開山は赤津(瀬戸市)の雲興寺五世永山本光和尚の弟子である密傳文雪大和尚。天正十四年(1586)に岩倉城主織田伊勢守平信安は父の織田馬介敏信の供養のために移転再興し、寺名も建雲山龍潭寺と改名。当寺は徳川家康公も滞在し寄進も受けられた。天文四年(1535)に本堂などを焼失したが復興、戦前までは雲水の修行寺としてその名を全国にとどろかせた尾北の名刹である。」
本堂入口には「轉法輪」(てんぼうりん)*(轉の字は転の旧字)と書かれた扁額があります。転法輪とは釈迦仏教の教義(法輪)を人々に説いた出来事を指すそうです。
堂内にてお参りをさせていただきました<(_ _)>
尾張三十三所の御朱印です。
場所:龍潭寺



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