2020
03/29
日
伊賀八幡宮からは、更に北へ1㎞程の場所にある『大樹寺』(だいじゅじ)に行きました(^^)/ 山門東側にある
駐車場に停め、南側の道路に出て南東より山門を見ています。正式には山門→三門みたいです(^^;)

岡崎市立大樹寺小学校の入り口前から撮った「大樹寺三門」正面全景です。本瓦葺き入母屋造りの楼門で、寛永十八年(1641)に徳川家光が建立しています。両脇に山廊が付き豪華に見えます。
三門内には立ち入ることができませんが、三門入口からは正面に本堂が伺えます。
三門下屋軒下の斗栱が豪華だったので撮ってきました(^^)/
「徳川家菩提所 成道山大樹寺」と刻まれた小さな寺号標が三門前にありました。タイトルにも書きましたが、歴代の徳川氏(松平氏)の菩提所であり、墓や位牌が安置されています。
山号は寺号碑にあった「成道山」、正式名称は「成道山松安院大樹寺」となります。浄土宗のじいんになります。
境内に入り、三門前から境内全景です。境内脇は燈篭と高木が並び、参道は砂敷きで仕上げられていました。
境内参道の右手に、県指定文化財の「鐘楼」がありました。こちらも入母屋造りで寛永十八年の建立になります。
三門を左に行くと右手に霊園があり、奥に「多宝塔」が見えます。
檜皮葺の「多宝塔」は国の重要文化財に指定されております。説明板によりますと、室町時代の天文四年(1535)に建立されたようです。
先程の境内参道に戻り、最初にあったのは「人形供養塔」です。大樹寺では年に一度人形供養会の催しで人形供養をされているようです。
本堂の少し手前の参道左に手水舎がありましたので、身を清めて進みます。
手水舎の横には「豊国稲荷大明神」の朱色のノボリがある「豊国稲荷」がありました。
本瓦葺き入母屋造りの「大樹寺本堂」です。安政二年に火災で全焼しており、現在の建物は再建されたものとなります。
御本尊は一光千体阿弥陀如来と如意輪観世音菩薩となっています。
正面から本堂内に入り、お参りをさせていただきました<(_ _)>
本堂前には大樹寺の沿革が書かれていました。
「応仁元年(1467)八月二十三日井田野の合戦で多くの戦死者が出たので、松平四代・親忠公は勢誉愚底上人に帰依して七日七夜の別時念佛会を修し、敵味方の別なく千人塚を作って葬った。その後、文明七年(1475)親忠公は、熱心な念佛者となり、愚底上人を開山として大樹寺を建立した。それ以来、大樹寺は松平家・徳川家の菩提寺として一千石近い石高を受け、大樹公寺と称し、二十有余の末寺を持つ東海の名刹となった。現在でも岡崎城の天守閣と大樹寺の総門・三門・本堂は南北一直線上にある。本尊の阿弥陀如来は平安末期の作と言われ、一光千体の阿弥陀如来として信仰されている。親忠公は愚底上人より在家としてはじめて五重相伝を受けられたので、大樹寺は浄土宗五重相伝の根源道場として知られている。
松平第九代の家康公は十九才の時、桶狭間の合戦で今川義元が織田信長に殺されたので、身の危険を感じ、大高城から大樹寺に逃げ帰り、先祖の墓前で自害しようとした。大樹寺住職登誉天室上人はこれをとどめ「厭離穢土・欣求浄土」の教えを説き、家康公に浄土念佛の尊さを教えた。それ以来、家康公は熱心な念佛者となり、生涯この「八文字」を座右の銘とした。この時、家康公を追う野武士の一隊が大樹寺を囲んだが、「厭離穢土・欣求浄土」の旗を立て、大力無双の祖洞和尚が門の貫木を引き抜いて奮戦し、敵を退散せしめた。これを大樹寺の陣という。家康公はこの貫木を「開運の貫木」として尊信したが今もこの貫木は大樹寺に安置されている。家康公が陣中において人知れず書いた「陣中名号」はたくさんあるが、この寺にも署名された「名号」がおさめられている。松平の御八代の墓は西方墓地の北側にあり、近年、家康公の墓を模した供養塔も岡崎市民により建てられた。三門と鐘楼は三代将軍家光公の建立で、三門楼上の「大樹寺」の扁額は後奈良天皇の宸筆である。西方に見ゆる多宝塔は天文四年(1535)松平七代・清康公の建立で、重要文化財に指定されている。本堂と大方丈は安政二年(1855)に焼失したが、安政四年、十三代将軍家定公の時に再建された。大方丈の障壁画は、土佐派の画家、冷泉爲恭の描いたもので、一四六面あり、国の重要文化財に指定され、その一部は収蔵庫に陳列されている。」
説明板の横には「徳川家康公霊夢像」がありました。まだ新しいようです。
南西側から撮った本堂全景
になります。

鬼瓦や降り棟の鬼瓦にまで徳川葵の御紋があしらわれており、銅製の千鳥破風の懸魚など豪華さが伺えました。
本堂内右手奥に社務所(授与所)があり、御朱印をいただいて参りました。
場所:大樹寺



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