2020
03/23
月
岡崎城を後にして、次に向かったのはすぐ近くにある『菅生神社』(すごうじんじゃ)です。200m程なので
歩いて向かいました(^^)/ 乙川の堤防沿いで南向きに入口があります。玉垣の上に大きな看板があるのですぐにわかりました。

入口右側に由緒看板が掲げられていました。
御祭神は「天照皇大神、豊受姫命、須佐之男命、菅原道真公、徳川家康公」となっています。御創建は
「人皇十二代景行天皇の御代(西暦110年)日本武尊東国平定の為当地御通過の砌、高岩にて矢を作り給い一矢を小川に吹き流し給う。其の後矢を御霊代と仰ぎ伊勢大神を鎮祭し吹矢大明神と称するに葆り岡崎最古の神社なり。其の後神亀二年(西暦725年)稲荷大明神を勧請し同殿に合祀する。
永正十四年(西暦1517年)七月洪水の節、額田郡宮崎郷より天王宮御流着あり。直に当神社に合祀の上菅生天王宮と称す。明治元年(西暦1868年)菅生神社と改称する。
御祭神を欽仰すれば吹矢大明神を尊崇するに武門の神と仰ぎ、松平初代親氏の祈願を初め松平一族の崇敬篤く、社殿の造営修復等行われた。松平清康公大永三年(西暦1523年)御参篭ありて御神託を受けて岡崎城内に菅生稲荷大明神の御分霊を移し祀り開運稲荷大明神と号す。
永禄九年(西暦1566年)大神君家康公二十五才厄除開運の御祈願・社殿造営せられる等、崇敬篤く古来当神社は岡崎城内鎮守の守護神として、御代々の岡崎城主の祈願所となる。」
入口右手には社号碑で「菅生神社」、左手は「徳川家康公御厄除開運祈願之神社」と刻まれていました。白いノボリには御祭神になっている家康の「徳川葵」が書かれていました。
鳥居は珍しい「台輪鳥居」になります。島木にも「徳川葵」の紋が入っており、その島木を受ける柱との間にあるのが台輪となります。
明神鳥居とほぼ一緒で、台輪のあるなしだけです。
境内参道は石張りで、進行方向に対して45度傾けた石の張り方が美しさを演出しています。
左手奥にある朱色の場所は、先の由緒でもあった「開運稲荷大明神」です。
その隣にあった大木は御神木の「楠」になります。「パワーの木」と書かれた楠の御神木は、株立ちがとても立派なので、引きで
撮っちゃいました(^^)/

右手には手水舎がありましたので、身を清めてお詣りします。手水舎の奥は隣地との塀際になりますが、天然の竹垣に燈篭と、見栄え良く造られていました。
その手水舎側から撮った狛犬と社殿(拝殿)になります。境内は狭いですが、落ち着く空間となっていました。
拝殿正面全景です。桟瓦葺き切妻造りの拝殿は、とてもシンプルな造りとなっています。拝殿の前がちょっと迫り出していて、横から階段で上に上がれるようになっていました。
拝殿の向拝にてお詣りをさせていただきました<(_ _)>
何故か拝殿の壁代には「おだもっこう・織田瓜」の紋が書かれています。どっちがここの神紋なんだろう??(^^;)
拝殿の左手奥には社務所の入口がありました。
拝殿の右手には、手前に「慰霊社」、奥に「秋葉神社」と境内社が並んでいました。
北入口前から本殿が見えました。本殿は本瓦葺きの入母屋造りでいいのかなぁ?
御神木の横にあった授与所です。こちらで御朱印を書いていただきました。
御朱印です。菅生神社では限定御朱印を書かれるなど、人気があるようです。ボクはシンプルに普通の御朱印を頂きました(^^)/
場所:菅生神社



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