2020
03/17
火
今回は御朱印ブログを開設して初めて愛知県岡崎市に行きました(^^)/ その最初の目的地として「岡崎城」にしたんですが、先に城内に鎮座している『龍城神社』(たつきじんじゃ)に寄りました。

橋を渡り、岡崎城石垣の間にある石段を上がると境内(城内)前に出ました。左に見える建物はもちろん「岡崎城」です。岡崎城は次回報告させていただきます。
石製の明神鳥居と左手に「縣社 龍城神社」の社号碑があります。
鳥居をくぐったすぐ右手に豪華な屋根を持つ手水舎があります。「禊」と大きく書かれた水盤で身を清めます。
境内の西側には戦没者慰霊碑である「忠魂碑」がありました。「鎮魂之錨」と書かれた碑の横には本物の船の錨がありました。
手水舎の北側にあるのは「神馬」です。
首が太くてかなりズングリムックリなお馬さんです(^^;)
鳥居の前の参道真ん中に「百願成就」と書かれた石柱は一般的な百度参りの「百度石」と同じ意味合いかと思われます。文字の上にある「三つ葉葵」は水戸黄門でお馴染みの徳川家の紋になります。
正面から見ると鋼板葺き入母屋造りで、向拝唐破風付きの社殿になります。RCでできているのでまだ新しそうです。
岡崎城天守閣の右隣に龍城神社は鎮座しています。徳川家康生誕の地である岡崎城なので、龍城神社も徳川家康を祀ることから「岡崎東照宮」とも呼ばれるようです。
参道右手に「古神札納所」と「絵馬掛け」、その奥の建物は休憩所だったかなぁ…
社殿(拝殿)の正面全景です。御祭神は「徳川家康公」「本多忠勝」「天神地祇」「護国英霊」となります。唐破風の鬼瓦には金色の「徳川葵」が光っていました(^^)/
社 記
「往昔、三河の守護代西郷弾正ェ門稠頼が此の地に築城成る日、何処ともなく柳の五ッ衣に紅の袴をつけた気高い乙女が天守に現われ、「われはこれ歳久しく此の処に住む龍神なり、汝われを鎮守の神と崇め祀らば永く此の城を守護し繁栄不易たらしめん」と、おりしも城中の井水噴き出で、高く天に沖し飛瀑の如く龍神に注ぎ、一群の黒雲舞い下りて天守を包むと見るまに龍神の姿は忽ち消えうせた。此の不思議に城主おどろき、天守楼上に龍神を祀って城地鎮守と崇め永く加護を祈り、城の名を龍ヶ城、井の名を龍の井と称えしと云う。
天文十一年十二月二十六日、後の征夷大将軍徳川家康公、幼名竹千代君此の城に産声をあげ給う。この英雄児の生まれ出づるを待つが如く、城楼の上に雲を呼び風を招く金鱗の龍を見たりと云う。今に龍神の井、産湯の井、東照公胞衣塚を存する。
東照公戦乱の世を鎮め天下を統一し、万民和楽の大業を達成して世を去り給う。その偉業を称え、城内に東照宮を奉祀した。
後に本多忠勝公を合祀し、大正三年県社に昇格、神饌幣帛料供進神社に指定せされ、岡崎市の中心神社として崇敬せられた。昭和三十七年社殿再建の議成り、広く崇敬者の浄財を得、また日光東照宮より神木の寄進を受け、社殿を竣成。天神地祇、全市旧領の護国の英雄を配祀した。 諸人の尊崇益々厚く諸願成就、開運守護の霊験いやちこな大社である。」
社殿の横にある井戸らしきものに名前はなかったですが、社記にある「龍の井」なんでしょうか?
お賽銭箱のある向拝にてお詣りをさせていただきました<(_ _)>
社殿の裏側に回り、本殿の屋根だけ見えました。本殿は瓦葺き入母屋造りのようです。
社殿の右隣にある真新しい社務所にて御朱印をいただいて参りました。
御朱印
今回でついに500回目のブログになりましたぁ~(≧∇≦)ノ彡
丸三年かけて到達することができました。
これからもボチボチとやっていきますのでよろしくお願い致します<(_ _)>
場所:龍城神社



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