2020
02/13
木
今年に入り、初詣として最初に伺いましたのは『甚目寺』(じもくじ)です(^^)/
東海地方にお住まいの方なら良く耳にする「甚目寺」ですが、"愛知県あま市甚目寺"の地名は所在する甚目寺によるものとなります。
最初に目にしますのは、「南大門(仁王門)」です。こけら葺き入母屋造りの楼門で、鎌倉時代初め建久七年(1196年)の建築となります。国の重要文化財に指定されています。
南大門の仁王像(金剛力士像)です。仁王像は運慶作と伝えられるようです
南大門の東側に大きな寺号標があります。「鳳凰山 甚目寺」と刻まれ、山号は鳳凰山、寺号が甚目寺で正式名称になります。表題の「甚目寺観音」は通称になります。その名の通り観音様(聖観音)が本尊となっており、尾張四観音の一つとなります。
この尾張地方には、荒子観音、龍泉寺、甚目寺観音、笠寺観音という4つのお寺があり、これら4つの寺院を「尾張四観音」と言います。
およそ400年前に徳川家康が名古屋城築城の際、四方の4つの寺を四観音として、名古屋城鎮護の守護神と定めたことに由来しているそうです。
南大門の西側に、この場所にはあまり似つかわしくない手水舎がありました(^^;)
南大門からは本堂まで真っ直ぐ参道が続いています。初詣だからか参道脇まで車でいっぱいでした。
境内西側にあるのは「秋葉堂」です。秋葉三尺坊大権現をお祀りしています。
境内東側に案内看板がありました。誌略(史略)には、
「甚目寺観音は、聖観音像が推古天皇5年(597年)甚目龍磨の手により「江上の庄 」の入り江にて、魚網にかかりこの地に祀られて以来1400年もの間、天下泰平・万民富楽・五穀豊穣の祈願所として栄え、特に江戸時代には名古屋城主より寺領300石を受領し、尾張四観音の筆頭寺院として、その隆盛を天下に誇ってきました。
現在は、境内も整備され、三重塔・南大門・東門など国の重要文化財を抱え、愛知県内屈指の寺院として日々参詣者が絶えることがありません。」と、書かれていました。
聖観音像が見守られている「平和之塔」です。
境内の西側中程にある「三重塔」です。本瓦葺で、高さ28mは三重塔としては日本有数の高さを誇ると書かれていました。
江戸時代初期、寛永四年(1623年)の建築で、国の重要文化財に指定されています。
三重塔向かいにある、本瓦葺き入母屋造りの「鐘楼」です。
鐘楼を過ぎた辺りの参道脇に出店が出ていました。
まんじゅうやくさ餅、わらび餅などいろんなものが売っていました。
出店の隣には「六角堂」がありました。Google Mapで上から見ると本当に六角形をしています。本尊は地蔵菩薩で、堂内には千体のお地蔵さまが祀られているそうです。
六角堂の東側には閻魔大王を祀る「十王堂」がありました。
桃山時代の様式を残している、銅板葺き切妻造りの「東門」です。室町時代の寛永十一年(1634年)の建造で、国の重要文化財に指定されています。
東門を入ったすぐの所に「釈迦堂」がありました。本尊は釈迦如来、脇仏に薬師如来と御狙様(おそそさま)が祀られています。
釈迦堂を過ぎて、右手に本堂です。再建が平成ですので煌びやかでとても綺麗です。
本堂を通り過ぎて、西側には右に「明王堂」、左が「弘法堂」になります。明王堂の本尊は烏枢沙魔明王(うすさまみょうおう)、弘法堂は当然弘法大師になります。
東門からの正面に「漆部神社」(ぬりべじんじゃ)がありました。かつては甚目寺の鎮守社だったようです。
「本堂」です。再建を木造じゃなく鉄筋コンクリート造としたのは耐久性を考慮したからなんでしょうけど、ちょっと残念ですねぇ(;^ω^)
本堂内の外陣向拝にてお参りをさせていただきました<(_ _)>
本堂内にあった納経所にて御朱印を書いていただきました。
唐破風屋根瓦の上に、最初は模様かと思ったらたくさんの鳩がとまっていました( ゚Д゚)
大悲殿は観音様のことになります。
場所:甚目寺観音



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