2020
01/29
水
納骨堂は元禄二年(1689)に経蔵として建立されましたが、平成二十三年(2011)に大修理され納骨堂となったようです。本尊は納骨された骨によって造られた阿弥陀如来像です。
納骨堂の横に何やらおもしろい絵が描かれた看板がありました。これは近年「アフロ仏」として知られるようになり、訪問者がかなり増えたとされる阿弥陀仏像だそう(^^;)
名前は「五劫思惟阿弥陀仏」(ごこうしゆいあみだぶつ)で、通常の阿弥陀仏と違い頭髪(螺髪らほつ)がまるでアフロのように非常に大きな髪型が特徴です。写真
撮影をするのに5分以上待つ行列ができていました(^_-)

「「無量寿経」によりますと、阿弥陀仏が法蔵菩薩の時、もろもろの衆生を救わんと五劫の間ただひたすら思惟をこらし四十八願をたて、修行をされ阿弥陀仏となられたとあり、五劫思惟された時のお姿をあらわしたものです。」 と、書かれていました。
五劫思惟阿弥陀仏を後ろに石段の先には国の重要文化財である「三重塔」が見えます。
石段の両脇は墓地となっています。
塔前に三重塔の説明板がありました。
「この塔は、寛永十年(1633)に伊丹重好(豊永宗如堅斉)が以前に仕えていた二代将軍徳川秀忠公の菩提を弔う為に建立した。塔の内部には文殊菩薩が祀られていたが、平成二十年四月御影堂左脇壇に遷座された。
現在は本尊として文殊菩薩のご分身(浄鏡)をお祀りし左右の脇壇には、重好公とその両親、当山二十八世潮呑上人の木像が安置されている。
御影堂に遷座された文殊菩薩は、運慶作と伝えられ善財童子・優填王・最勝老人・仏陀波利三蔵を従えた渡海文殊形式で日本三文殊隋一として信仰を集めている。是非、御影堂へご参拝下さい。」
「三重塔」全景です。塔内に文殊菩薩が祀られているので、別名「文殊塔」(もんじゅとう)とも言われます。塔の下回りは足場が架けられていましたが、修理でも行うのかな?
三重塔の扁額には「日本三文殊隋一」と書かれています。因みに日本三文殊とは、「金戒光明寺」、京都宮津の「知恩院」、奈良桜井の「安倍文殊院」とされます。
三重塔は当寺の中では一番高台にありますので眺望が一番いい場所です。手前に金戒光明寺山門が見えますが、山門の向こうは京都市街が広がります。
五劫思惟の御朱印です。
場所:金戒光明寺 五劫思惟



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