2020
01/26
日
金戒光明寺山門を過ぎると、正面に「御影堂(大殿)」が見えてきました(^^)/ 今回は『金戒光明寺』(こんかいこうみょうじ)の特別拝観の内容をお伝えします。って言っても内部は
写真撮影
禁止なのであまり
写真はありませんが…(^^;)



御影堂は昭和十九年に再建されたもので、内陣の正面には法然上人の御影(坐像)が泰安されています。秋の特別拝観中と言うこともあって、かなりの人で混み合っていました。。。
参道石段の右手には「納骨堂」です。納骨堂の左側は「阿弥陀堂」になります。
石段の左手には鐘楼がありました。
左側に茶所がありましたので、お茶と団子を頂きました(^^)/
休憩後、手水舎にて身を清め拝観に進みます。
御影堂全景です。御影堂の本尊は重要文化財の「吉備観音(千手観音立像)」で、御影堂須弥壇脇(右)に安置されています。左側には運慶作の「中山文殊」が安置されており、古来より日本三文殊の一つと言われています。
御影堂前です。秋の特別拝観で「御影堂・大方丈・庭園」を見てきました。大人800円で入場です。御影堂の柱には「法然上人第二十四番霊場」「洛陽三十三所観音第六番霊場」の札が掛かっています。
内部が
写真撮影
禁止だったので、ほとんど
写真を撮るのを忘れていて申し訳ありません。。。 ちょっとだけ庭園の
写真がありました。「方丈北庭」です。日差しの向きが悪かったので、あまり綺麗に
紅葉が撮れませんでした(^^;)





庭園の中心にある池は「鎧之池」で、源平合戦の一ノ谷の戦いで平敦盛を討った熊谷直実が鎧を洗った。。。。と言ったエピソードから名が付いた歴史ある池だそうです。奥に見える建物は「大方丈」です。
大方丈裏の「紫雲の庭」になります。
「法然上人の生涯と浄土宗の広がりを枯山水で表現したもので、白川砂と杉苔を敷き詰めた中に、法然上人や上人をとりまく人々を大小の石で表し、法然上人の「幼少時代 美作国」「修行時代 比叡山延暦寺」「浄土宗開宗 金戒光明寺の興隆」の三つの部分に分けて構成されている。」
左側の建物が「清和殿」、右が「新清和殿」です。拝観が終わり、新清和殿にて御朱印を書いていただき、紫の暖簾が掛かる出入口から出てきました。
清和殿は安永八年(1779)の建物で大庫裡として使われており、新選組や会津藩など幕末の歴史を彩ってきた場所です。現在は信徒の集会や宿泊、結婚式などに使われているそうです。
大方丈入口の唐門(国の有形文化財)と、左側は御影堂になります。
拝観後、新清和殿前にある本瓦葺き入母屋造りの「阿弥陀堂」にお参りしました。金戒光明寺の御本尊である阿弥陀如来はここに祀られています。
阿弥陀堂前にてお参りをさせていただきました<(_ _)> 説明板には
「当山の諸堂の中では一番古いお堂で、慶長十年(1605)豊臣秀頼公が再建。本尊は、恵心僧都源信の番終作と伝えられている阿弥陀様がお祀りされています。
本尊の名前由来は、恵心僧都源信が仏像彫刻に必要な「のみ」をお納めになって仏像彫刻を止められたと言うので「のみおをさめの如来」又は「お止めの如来」とも言われています。」 と、書かれていました。
今回はここまで! 次回は「五劫思惟」と三重塔で~す(^^)/
御朱印は御本尊の阿弥陀如来をいただこうかと思いましたが、秋の特別拝観にて限定御朱印が出ていましたので「釈迦如来」を頂きました(^^)/
釈迦如来はどこに祀られているかと調べましたら、「宝冠釈迦如来像」「文殊菩薩像」「普賢菩薩像」の釈迦三尊像として山門楼上に祀られているようです。御朱印を良く見たら、右上に山門扁額と同じ「浄土真宗最初門」の朱印が押されていました。
場所:金戒光明寺



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