2020
01/11
土
弥勒院から哲学の道を200m程北に行くと、右手に銀閣寺参道に入ります。続いては当初の目的地でした『慈照寺(銀閣寺)』(じしょうじ(ぎんかくじ))です(^^)/ 銀閣寺は「観音殿銀閣」を含めた寺院全体の別称(通称)になります。
お土産物屋さんがたくさん並ぶ銀閣寺参道を抜けると、総門手前の入口に着きました。ここから床が変わって、人が一気に増えます。
入口の右手には寺号標がありましたが、「東山 銀閣寺」と書かれているのかな??
山号は「東山」(とうざん)、正式名称は東山慈照寺です。臨済宗相国寺派になります。
銀閣寺境内図も入口にありますので、配置を確認して境内に入ります。
慈照寺(銀閣寺)の由緒看板がありました。
「東山慈照寺と号する臨済宗相国寺派の寺で、足利義政公の隠居所「東山殿」を遺命によって寺としたものである。平成六年(1994)に世界文化遺産に登録された。
東山殿は、文明十四年(1482)から建設が始まり、東山文化の粋を尽くした数々の仏殿、住宅や庭園が造られた。しかし、永録元年(1558)の兵火により観音殿(銀閣)と東求堂(ともに国宝)を残して建物が焼失し、元和元年(1639)に現在の寺観が整えられた。
銀閣は、延徳元年(1489)建立の柿葺二層建てで、下層は心空殿と呼ばれる書院造の住宅、上層は観音像を安置する潮音閣と呼ばれる禅宗様仏殿となっている。実際には銀箔は貼られなかったが、北山鹿苑寺の金閣に対し、一般に銀閣と呼ばれている。金閣に比べて枯淡幽雅な特色が見られ、東山文化を代表する名建築である。
東求堂は、文明十八年(1486)建立の義正公の持仏堂で、日常生活のための住宅の遺構としては最古のものといわれ、内部には仏間や同仁斎などがある。同仁斎は茶室の原型・源流ともいわれるが、元来は書斎である。
庭園(国の特別史跡及び特別名勝)は、西芳寺(苔寺)の庭園を模して義正公が作ったものといわれ、上段石組、下段池泉回遊式の二段から成り、銀閣とよく調和した名園である。」
石張りの参道を抜けると総門が見えてきました(^^)/
「総門」です。拝観時間は8:30~17:00までとなっています。拝観料は500円です。
クランクした参道を抜け、中門を中に入ると左手に庫裏がありました。
方丈前にあります庭園の一つ、白砂を段形に盛り上げた「銀沙灘」(ぎんしゃだん)です。
「方丈」(本堂)の扁額は「東山水上行」と書かれていました。今の本堂は江戸時代初期に再建されたものと言われており、御本尊の釈迦牟尼仏が安置されています。
方丈の右側には「東求堂」(とうぐどう)があります。足利義政の持仏堂で日本最古の書院造り建物として国宝に指定されています。檜皮葺き入母屋造で、文明十八年(1486年)の建立になります。
方丈と東求堂の間も枯山水の庭園が造られており、奥の渡り廊下の前には変わった形の「銀閣寺形手水鉢」があります。
「銀沙灘」の東側参拝通路から方丈側を見ています。方丈の左側にあるのは「宝処関」(ほうしょかん)が伺えます。宝処関とは貴賓客用の玄関です。
「銀沙灘」を過ぎると特別史跡・特別名勝の「錦境池」(きんきょうち)がありますが、「仙人州」という島の向こう側に「観音殿 銀閣」が佇みます。
西側の錦鏡池には「白鶴島」の向こう側に「方丈」と「東求堂」があり、こちらも美しい景色を見せてくれています。
東側にある山の展望所からの眺望です。京都の街が伺えます。
先程の「錦鏡池」に戻ってきました。角度を変えて「観音殿 銀閣」の優美さを堪能できました。まるで絵はがきにあるような素晴らしい写真を納めることができました(^^)/
「観音殿銀閣」を南側から庭園越しに見ています。銀閣はどの面から見ても趣があります。
参拝通路の最後には、売店の「圓通殿」、「東司」(トイレ・手洗)がありました。
最後に、中門前の朱印所にて御朱印を書いていただきました。
観音殿(銀閣)の御朱印
場所:慈照寺(銀閣寺)



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COMMENT
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No.7 Re: やっぱり良いですね~慈照寺
僕の、"京都の行ってみたい寺社ランキング"で第2位の銀閣寺は、やっぱり最高に美しかったです。コメントありがとうございました。
投稿者:akino1942 2020/01/13 (月) 09:34
No.6 やっぱり良いですね~慈照寺
数年訪ねてませんが、変わらずなんとも素敵なお寺ですね。高い場所から見下ろした景色が特に好きです。ありがとうございました。