2020
01/02
木
美濃金山城跡に続いては、帰りの道中にありました美濃加茂市の『大徳院』(だいとくいん)に寄りました(^^)/
小高い丘の上にある当寺は、階段の下に
写真のような看板が出ていました。「清開山 大徳院 東海三十六不動 第三十四番」と書かれています。山号は看板の通り「清開山」(せいかいさん)で、東海三十六不動尊霊場の一つになっています。天台宗門宗の寺院です。

寄った時間がもう16時を過ぎていたため、山道の参道はかなり暗く街頭がないと進めないくらいでした。階段の登り口に「清開山大徳院」と正式名称で書かれた寺号標がありました。
階段も境内近くになると若干明るくなってきましたが、時間が遅くなってしまったので、これから紹介する
写真は全体的にピンぼけになってしまいました、、、申し訳ありません。

境内手前には「納佛堂」と扁額に書かれたお堂がありました。
参道には赤い東海三十六不動尊霊場の「南無大聖不動明王」、白い「奉納不動明王」と書かれたノボリ旗がたくさんありました。
境内入口に手水舎がありましたので、身を清めます。
由緒板です。ピンぼけですいません。。。
祭祀は本尊の不動明王、恵比寿、大黒天、弘法大師、成田不動尊の御分霊となっています。
「開祖 岩本坊は延宝八年 甲斐の国八代郡定栖村本林を出る 新潟県南魚沼郡中の島村吉山新田に移り創建する 吉祥院と称す
京都聖護院の本山修験道であった
第四世宗證法印時代 大徳院と改称す
第十一世福山承賢時代 明治五年 修験道廃止となる 同時に現在の宗派に改称し 滋賀県大津市 圓城寺(三井寺)の末寺となり 現在地に移る
明治三十四年 本堂造成に着手 同三十七年完成する 大正三年第十三世座間清順時代 本堂を増築し籠堂を建築する
昭和五十年籠堂を改築する 本堂の損壊著しく昭和六十二年改築に着工し 平成元年完成する」
と、書かれていました(^^;)
手水の向かいには松の木に囲まれた鐘楼と、何の建物かわかりませんが、外部トイレも付いた建て屋がありました。
銅板葺き入母屋造り流造で向拝付きで、とても美しい形の本堂です。
大徳院と書かれたお札の左側に朱印所がありましたので、御朱印を書いてもらっている間に、不動明王の扁額がある向拝にてお参りをさせていただきました<(_ _)>
外陣にはお賽銭箱の他、不動明王の提灯、おみくじなどの授与品が置かれていました。
本堂上から鐘楼側を見ていますが、門かぶりの松が凄いです! きっと足場を架けないと剪定に入れないんだろうなぁ。(^_-)
本堂の西側には、高い位置から不動明王像が見守っておられました。
本堂西側にあった庫裡です。
不動明王の御朱印
場所:大徳院



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