2019
12/21
土
前回に引き続いて、福井県吉田郡永平寺町にある『永平寺』(えいへいじ)後半です(^^)/ 前回の「法堂」に続いては、「承陽殿」(じょうようでん)から紹介です。永平寺でもっとも神聖な場所と言われる所です。
入口横の説明板には
「承陽殿(道元禅師の御真廟)
明治14年の改築で、正面壇上奥には御開山道元禅師(承陽大師)、本山第2世懐奘禅師の御尊像と御霊骨が泰安され、さらに本山3世、4世、5世、並びに螢山禅師の御尊像をお祀りしている。
殿内には本山歴代禅師、及び宗門寺院住職の御位牌が祠られている。又、正面左には本山開基波多野義重公の像を安置する。
正面上『承陽』の額は、明治天皇より道元禅師へおくられたものである。」とあります。
承陽殿前の中庭には青銅製の灯籠に、鐘楼、前回下から見た唐門がありました。
正面入口の向拝部分には「承陽殿」と書かれた大きな扁額が目立ちます。扉には永平寺の家紋(寺紋)である久我竜胆(こがりんどう)の紋が彫刻されていました。内部には説明板にあった明治天皇より贈られた「承陽」の額が中心に掲げられていました。
法堂の東にあるのは「大光明蔵」(だいこうみょうぞう)です。桃山時代の形式に準じた建物で、大広間では永平寺貫首が公式に来山寺院や檀信徒と相見する場所となっています。
法堂から、今度は東側の階段回廊を下に降ります。
回廊を降りて仏殿がある回廊先にあったのは「瑞雲閣」(ずいうんかく)です。大庫院の一部で、貴賓の接待所となります。
仏殿前から「大庫院」(だいくいん)を見ています。大庫院の入口には「庫院」と書かれた額がありました。
大庫院の中にもお参りする場所がありました。(^^;) 説明板には、
「昭和5年に改築、地下1階地上4階の木造建築で、主に仏膳と修行僧及び来賓の食事を賄える所。正面には護法韋駄尊天等を安置し、上階には来賓の接待室及び150畳の敷の大広間がある。」
と書かれていました。
東の回廊一番下から「中雀門」の手前部分を見ています。参道には反り橋もあります。
先程の部分を、山門の参道正面から見ています。
紅葉が「映え」てます(^^)/

永平寺は山門を通ることはありません。参拝順路を通って最後の方で漸く内部にきました。金剛力士像の代わりに多聞天王・持国天王、反対側には増長天王・廣目天王の四天王が入口を守っていました。
山門から南側に「鐘楼堂」があります、東側には「浴室」があります。
山門から回廊を西側に進み、最後となりましたのは「大祠堂殿」(だいしどうでん)です。
写真は最後に外に出てから撮りました(^^)/

大祠堂殿の説明板です。
「昭和5年の新築で、全国各地の信徒から納められる御位牌を安置し、奥殿中央に地蔵菩薩を祀り、各種法要が行われている。全国各地の信徒から納められた御分骨は、道元禅師始め歴代禅師の眠る聖域に合祀され、永代祠堂の諸精霊と共に、毎朝の勤行にて懇ろに供養されている。」 とありました。
「總祠堂」の入口札に、内陣の扁額にも同様の言葉が入っていました。
祠堂殿から
撮りました「納経塔」です。
紅葉(もみじ)かな?映えてます!!(^^)/


下から見た納経塔も良い感じです。
帰り際に通用門の全景を入口の反対側から
撮りましたが、結構な参拝者でした(^^;)

永平寺はご存じの通り「禅道場」です。体験修行もできますので、
詳しい事は公式ホームページでご確認ください(^^)/
御朱印は「承陽殿」と書かれています。
場所:永平寺



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