2019
12/15
日
建中寺を後にして、続いては西に500mの場所にある『松山神社』(まつやまじんじゃ)に行きました(^^)/ 住宅街の一角にポツンと鳥居が見えてきました。
鳥居の横には、小ぶりですが「松山神社」と刻まれた社号碑があります。
鳥居の右側、道路に面して「松山神社略記」があります。
「当社は名古屋市東区泉三-二-二九に在り、此の地往古は松樹繁茂せる広大なる山林なり。因って松山神社といい、近世天道宮、天道社又は松山天道とも呼べり。創立年代不詳。大永年中羽前羽黒山の修験隆海之を再興し、守護すること三十余年二代鍐海の後社殿大に荒廃す。元和年中美濃久々利の修験秀恵重興し且つ寿命院を建立別当となる。以来藩主の命に依り祈願所となり、崇敬篤く元文三年五月、御紋付の挑燈を寄付せらる。
明治の初年村社に列し、別当を廃して祠掌を置く。祭神中央は天照皇大神、右は品陀別命、左は市杵島姫命なり、社殿は神殿、拝殿、神饌所、神楽殿、社務所あり、境内に加茂社、猿田彦社、天神社、秋葉社、津島社、福守稲荷社がある。
例大祭は十月十四・十五日、月次祭毎月一、十五日、他に五月十四日に大祭、七月一日赤丸神事、七月二十五日茅輪神事がある。
古来土地の氏神として一般の崇敬篤く家内安全、商売繁盛、学業成就、開運厄除の守護神として広く庶民に信仰されている。」と、書かれていました。
石製の鳥居は、形的には伊勢鳥居かな~?
鳥居をくぐって、境内すぐ右側に「恵の水」と書かれた手水舎がありました。
参道で正面を向くと突き当たりに拝殿、左側には庫裏・社務所があります。
境内右側にあるのは、たぶん「神楽殿」だと思います。銅葺き入母屋造りとなっています。
神楽殿の横には保存樹である「ケヤキ」の大木がありました。
拝殿の正面全景です。拝殿も銅葺き入母屋造りです。御祭神は先程の略記にありましたが、「天照皇大神」「品陀別命」「市杵島姫命」になります。
拝殿向拝には床に賽銭箱が埋め込まれています。奥の本殿入り口前に「松山神社」と金文字で書かれた扁額が伺えます。
境内奥には、境内社の「福守稲荷社」がありました。
本殿の横には「長寿の大銀杏」があります。神木が横にあったそうですが、枯れ木となって以来逞しく生き続け大樹となったようです。今では神木の生まれ変わりとして崇敬されているようです。
本殿は銅葺きの流造のようです。
御朱印は拝殿横の授与所で書いていただきました。
場所:松山神社



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