2019
11/27
水
山田天満宮に続いては、ナゴヤドームの南にあります『晴明神社』(せいめいじんじゃ)に行きました(^^)/ 晴明神社と言えば京都を思い浮かべますので、Wikipediaでは「名古屋晴明神社」となっています。ただどちらが正式名称かはわかりませんでした(^^;)
入口前の全景です。一段高い場所に境内はあります。
階段前には「御祭神 安倍晴明公 晴明神社」の看板があります。赤い星形のマークは魔除けの印しだそうです。
入口に新聞広告などが貼られています。名古屋で一番可愛く、願いが叶う神社と自画自賛しておられました(^^;)
階段正面には社務所があります。正面は社務所玄関です。
境内に上がると、石製の鳥居がりました。
鳥居の右手には木に隠れるように社号碑がありました。社号碑には「晴明神社」と刻まれています。
鳥居には、豪華な金色の扁額に「晴明神社」と書かれていました。
境内の東側に可愛らしい小さい手水がありましたので、身を清めます。
社殿(拝殿)です。敷地が狭いので、本殿はお社の中、奥の方にあるようです。
清明神社の御事歴として書かれていました。
「御祭神清明公は孝元帝の皇子大彦命の御後胤にして幼時より甚だ御賢明な方にて万の道に秀でられ、特に天文暦学の道に通達し神道自在の妙術を得られた。長ずるに及び及び天文陰陽博士として朱雀帝より六代の帝の側近に仕えられ数々の功績をたて給い、中にも村上帝の御代に進んで入唐し、城刑山にて伯道仙人の神伝を承け帰朝するや我国独特の陰陽道を確立され朝廷の祭政、民族生活の基範を定められた。今日我々が日常生活の基準とする年中行事、歴術、占法等、皆この時を創りとする。晴明御霊神として祀られるや、我国陰陽道の祖として広く世の崇敬を受けられ祈るに任せて皆々奇偉なる霊験に浴し、方除守護、火災守護、進学、開業、結婚、病気平癒等、疑いなきものなり。
晴明神社の起源
寛和2年(987年)晴明尾張国狩津荘上野邑に来住、長養寺乾街道北一丁余松樹五、六株あり。里人伝えていう「往古安倍晴明住居跡なり」と、晴明此処に在りし時当邑蝮蛇多きを見て加持して是を封ず。是より一村蝮蛇を見ず。然るにその後蝮蛇を見る事あり、寺に請い彼の跡に標木を立つ安永戌年七月(1798年、今から220年前)晴明の神霊を勧進し密噴を修し、法楽をなし再び蝮蛇を見ずという云々。
之が当地晴明神社の起りであるが、現代に至るまでこの神社の霊験について数々の逸話が語り伝えられている。
晴明桔梗印
当社の神紋は俗に晴明桔梗ともいわれ、晴明公の創められた独特のもので陰陽道に用いられる祈祷呪符の一つである。
天地五行を象どり宇宙万物の除災清浄を表す。ギリシャ語でペンタグランマと称し西洋諸国にても魔除の印しとしている。旧日本陸軍を初め各国軍隊が星の紋章を使用し又幔幕の縄通し、衣服の一端に縫い込まれるのも皆厄除け開運を願う故なり。」
スッキリとした拝殿にてお詣りをさせていただきました。<(_ _)>
境内西側には絵馬掛けがある場所に、椅子とテーブルが陶器でできた休憩場所がありました。フェンス際には清明神社の記事が貼られていました。
社務所の北面に授与所があり、御朱印をいただきました。
手水前からの境内全景です。
御朱印
場所:清明神社(名古屋)



よければポチッとお願いします(^^)/

この記事と関連する記事
AFTER「[愛知県] 名古屋三大天神の一つ 上野天満宮」
BEFORE「[愛知県] 金運招福 山田天満宮内にある金神社」
COMMENT