2019
11/15
金
山津照神社に続いては、米原市番場にあります『蓮華寺』(れんげじ)に行きました(^^)/
写真は参道入口になります。左手に「史蹟 蓮華寺」と刻まれた寺号標があります。道の突き当たりに蓮華寺がありますが、その手前には高速道路の高架が見えます。

聖徳太子によって開基した寺と伝わり、当初は寺号を法隆寺と称しました。歴代天皇の信仰も厚く、花園天皇(1308~18)家紋として菊花紋を賜ったそうです。
道路右側には、「瞼の母番場忠太郎地蔵尊」「南北朝の古戦場」と書かれた立ち看板と「境内在故六波羅鎮将北条仲時及諸将士墳墓」と書かれた石碑があり、多くの歴史由来が残る寺院とわかります。

蓮華寺の由緒は
「聖徳太子によって開かれた寺と伝えられ、当初は寺号を法隆寺と称していました。歴代天皇の信仰も厚く、花園天皇(1308~18)寺紋として菊の紋を下されました。
昭和十七年に浄土宗鎮西派に帰属して、浄土宗本山として現在に至ります。書院の東南に広がる庭園は、釈迦嶽の山裾にあたる池庭で、背景に山が迫り、谷が深く幽遠です。コウヤマキの巨樹や、山腹にはミツバツツジが群生して春の色どりは格別です。
元弘三年(1333)、京都の合戦に敗れた六波羅探題北条仲時は、この地で京極道誉南朝軍の包囲に遭い、本堂前庭で仲時以下430余名が自刃しました。仲時一行の供養の墓碑が境内にあります。また斉藤茂吉は、恩師佐原窿応が当寺49世住職になったことから、参詣して短歌を残しています。」
賜った菊花紋がある山門です。通してはいないようですので、左側通路から中に入ります。
左通路正面にありますのは、たぶん庫裏だと思います。
「血の川」と書かれた看板はちょっと物騒な感じですが、本堂前庭で430余名が自刃した鮮血が滴り血の川の如し流れたことから称されたようです。
境内に入り、正面に本堂が伺えます。
桟瓦葺き入母屋造りで正面流造の向拝付きとなっています。
西日が眩しかったので、山門内側から見た鐘楼堂です。鐘楼の奥には「舎利塔」と書かれた建物がありました。
境内西側には太平洋戦争の「英霊供養塔」と「弁財天・八大龍王」が祀られていました。
本堂の正面全景です。
本堂前の賽銭箱のある向拝にてお参りをさせていただきました<(_ _)>
本堂入口上には「蓮華寺」と書かれたカラフルな扁額が目立っていました。扉には菊花紋と五七桐の紋が並んで付けられていましたが、五七桐の由来はわかりませんでした(^^;)?
本堂内にて内部の拝観をさせていただき、内陣の案内と縁起歴史を説明していただきました。本堂東側の庭園です。秋は紅葉が美しいようです。
最後に、本堂裏側にある宝物庫を見学させてもらいました。
御朱印
場所:蓮華寺(米原市)



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