2019
11/12
火
次に向かったのは、岐阜県不破郡垂井町の南宮大社から、関ヶ原ICより名神高速道路に乗り、米原ICで降りて一番近くにあったのは『山津照神社』(やまつてるじんじゃ)です(^^)/






結構長い石段を上ると一の鳥居があります。
石製の一の鳥居です。扁額が西日で暗くてわかりにくいですが、青銅製で「山津照神社」と書かれています。左手には「善性寺」の山門がありました。
珍しく、参道は土で仕上げられていました。
雨が降るとぬかるみそうです(^^;)

参道中程、左手に「山津照神社古墳」がありました。説明看板によりますと、前方後円墳で滋賀県指定史跡になっているようです。
その向かい側に手水舎がありましたので、身を清めて進みます。
土の参道から、広い境内側は緑の芝生となっているようです。山の木々の緑も相まって雰囲気がとてもいいです。
無人の社務所です。日曜日に伺いましたが、日曜だけ無人なのかな?
境内図がありました。御祭神は「国常立尊」(くにのとこたちのみこと)と書かれていました。日本神話に登場する神で、『日本書紀』においては、初めての神とされるようです。
社務所の横には宝物庫がありました。
石製の二の鳥居になります。扁額は一の鳥居と同じです。
御由緒が書かれた石碑がありました。
「創祀の年代は詳らかでないが、この地は開化天皇の皇子・・王三世の孫息長宿根王の在住の地としてその子孫が連綿と栄えたところで、明治十五年に発見された境内の古墳は息長宿根王の墳墓と伝えられている。
称徳天皇の天平神護二年神封六戸を寄せ奉られている。清和天皇の貞観八年従四位上より正四位下を授けられ、宇多天皇の寛平九年の太政官符には、坂田郡山津照名神の名がみえ、醍醐天皇の延喜の制には、坂田郡五座の一にして名神の小社に列せられている。
中古、鎮座地を青木の里と呼ぶことより当社を青木大梵天王、また青木大明神と称せられていた。承久三年後鳥羽上皇名越に行幸された時に参詣され、宝剣一口と菊桐の御紋章を奉納された。正応二年十月には光厳院が院宣を下して神殿を修造し天下泰平を祈願された。
明治維新以後神仏分離し、もとの山津照神社に改称し、明治九年十月村社となり、同十四年五月郷社に列し、更に大正十年二月県社に昇格した。近郷二十ヶ字の氏子を有する。」
山の緑と地面の緑が素晴らしく、中央にある拝殿がとても美しく感じます。
拝殿正面です。屋根は銅葺き入母屋造りとなっており、銅がまだ光ってますので葺き替えられたばかりのようです。
拝殿向拝にてお詣りをさせていただきました<(_ _)>
本殿です。こちらは流造りのようです。

御朱印
場所:山津照神社



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