2019
11/06
水
入口中心には、鉄筋コンクリート造で造られた白壁の山門と、左に「南無妙法蓮華経」と刻まれた石碑と右に寺号標がありました。
寺号標には「日蓮宗 四高祖 妙蔵寺」と刻まれています。
「「尾張四高祖」(おわりしこうそ)とは、中老僧 日法聖人によって一木四体に彫られた日蓮大聖人ご尊像を日澄聖人に託され、尾張の地においてお釈迦様、法華経、お題目の信仰と日蓮大聖人の教えを絶やすことなく、護り広めるべく導師の尊像を祭られた事に由来します。」
妙蔵寺ホームページより抜粋
山門は再建となっています。屋根は桟瓦葺きの切妻造りとなっており、降り棟の鬼飾りなどに、日蓮宗の「井桁に橘」の寺紋が伺えます。
山門の入口上には青銅製でしょうか、「具徳山」と書かれた扁額が掲げられていました。山号は記述のように「具徳山」で正式名称は「具徳山妙蔵寺」となります。もちろん日蓮宗の寺院です。
山門入ってすぐの左手に「(三十)番神堂」がありました。日蓮宗寺院にはよくあるようです。先程参拝した妙楽寺にも三十番神堂がありましたねぇ~(^^)/
番神堂の目の前北側にありました「祖師堂」です。入母屋造りで入母屋破風下屋根の流造で向拝が付いています。耐震補強の鉄骨は、保存していく上ではどうしても仕方ないのでしょうね~。。。
「開基当時、法華堂と称されるに至った経緯の名残として人々からは祖師堂と呼ばれる様になり、尾張名所図会には、江戸期には守護神堂として妙見大菩薩を勧請し外山法華の妙見信仰の礎を築いた。」
妙蔵寺ホームページより抜粋
山門から真っ直ぐ造られた石畳の参道です。左手が今紹介した「祖師堂」で、右に行く参道先には「庫裡と客殿」になります。
参道右側、庫裡の玄関には御首題・御朱印案内の立て看板があります。お参り後にここで御朱印をお願いしました。
参道の燈籠手前からの本堂です。今回廻った日蓮宗の寺院は全て狛犬がいませんでした。
本堂手前を左に進む参道の先には、お釈迦様が鎮座する永代供養墓「安穏廟」があります。
本堂の正面全景です。残念ながら鉄筋コンクリート造で造られた本堂は、木造建築の美しさは持ち合わせていませんが、現代の流からは仕方のないことかもしれません(o´_`o)ハァ・・・
創建は元亨四年(1324)、九老僧日澄の開基と伝わるようです。御本尊は「久遠実成の本師 釈迦牟尼佛」になります。
妙蔵寺の縁起は
「創建年は元亨4年(1324)。寺伝によれば、全国各地を布教しながら旅をしていた九老僧日澄聖人が、高齢のため旅が困難となり、地主の手厚い帰依を受け、地主屋敷の一棟を寄進され、この地で余生を過ごす事を決し、自佛像として片時も傍を離さず、息を引き取るその日まで給仕礼拝を欠かさなかった日蓮大聖人像を住いに奉安し法華堂と称して草庵としたのが始まりで、その後に直弟子の日宗が、遺言に従って日蓮大聖人の御霊が眠る身延山久遠寺の御廟に埋葬するため道中の搬送を考慮し師を荼毘にふした。日宗は身延から再び南外山村に帰りて地主と村民からの協力を受け、日法聖人お手彫りの祖師像、尾張四高祖のご尊像を末代後世に伝えるため、日澄聖人のご草庵場所に、師の七回忌に合わせ本堂と庫裡を創建したと伝承される。」
妙蔵寺ホームページより抜粋
本堂入り口上には、寺号の妙蔵寺と書かれた扁額が掲げられています。
本堂広縁の向拝にある賽銭箱の前でお参りをさせていただきました<(_ _)>
お参り後に御朱印を書いてもらうため、先程の庫裡に行きましたが、あいにく住職はお留守にしており奥様に対応してもらい、書き置きですが御朱印(御首題)をいただきました。又、御朱印と一緒に「沈香の雅」と書かれたお香までいただき、ありがとうございました。
庫裡の玄関内には、お札や朱印帳、ストラップなどが置かれていました。
御朱印(御首題)
場所:妙蔵寺



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