2019
10/25
金
前回の続きです。『小牧山城』天守閣(小牧市歴史館)の入口で、「本日は入場無料です!」と言われ、超ラッキー(^^)/ と思い、パンフレットをもらおうと手を出した先に、なんと!今までなかった登城印があるじゃないですか! しかも織田家の印と徳川家の印の2種類も!! ないはずの場所にあるとメチャクチャ嬉しいですよね~♪ なので、2枚とも戴いちゃいましたぁ~(^^)/
まずは、1階です。
写真の場所は休憩スペースで無料エリアとなっています。トイレもあってちょっとの展示も見られるので嬉しいです。

こちらが、1階の有料エリアです。
小牧山城や城下町の歴史、発掘調査の成果を展示しています。
2階では古墳時代の遺物が展示されていたり「小牧・長久手の戦い」コーナーがありました。
歴史館は、平成18年~19年に内装や展示をリニューアルされており、木造の城をイメージして、内装仕上げを木で統一されています。とても綺麗ですね~
3階は小牧のまつりや民族についての資料を展示していました。
4階は展望室になっています。顔出しパネルもあって子供が
写真を撮っていました。

4階の展望デッキより南→西→北→東の順で廻っています。
南は地平線の所に名古屋の高層ビル群がわかります。
西の一番高い山は伊吹山です。右の方に岐阜の金華山と岐阜城が。。。見えないか!(笑)
北は真ん中ほどに雲がかかっている御嶽山が伺えます。
東、、、恵那山はどれだろう(^^;)
各面から見た小牧山城(小牧市歴史館)の全景
写真です。

お城って意外とかっこいいんですよね~
天守から西へちょっと降りたところに「石垣の裏込石」置き場がありました。発掘調査で出土された石のようです。
「観音洞」への矢印が出ていたので、西廻りで進んでいくと、ありました「観音洞」。
観音洞の説明には
「明応の頃ー。
乳の出ない妻に食わせようと、子孕み鹿を撃ちに小牧山に登った麓の狩人が、七匹の子鹿を連れた子孕み鹿を見つけて撃つと、子鹿は七つの石に、母鹿は観音像と化した。
狩人はこれを見て殺生を悔い、その地に草庵を結び観音像をねんごろに祭った。
後に観音を祭る草庵は間々に乳観音として移転したが、草庵の跡地は観音洞と呼び親しまれ現在に至っている。」
広い観音洞の奥に「間々乳観音出現霊場」の石碑と、御神木のような太い木があり安らぎの聖地となっていました。
そのまま、南の道路まで降りました。神社と忠魂碑があるようです。
神社は「愛宕社」「八幡神社」「白山神社」「御嶽神社」が鎮座しているようです。
戦没者の忠魂碑です。砲弾をかたどった碑ですね~
このまま、小牧山敷地の北側にある「間々観音」に行きますが、それは次回に紹介します。間々観音の帰りに、小牧山北側の「搦手口」を見に来ました(^^)/ 山の真ん中に小牧山城の屋根がかろうじて見えます。
小牧山城を築城したのは織田信長ですが、岐阜城に移ってからは廃城となりました。小牧・長久手の戦いで、徳川家康の軍勢は城跡を整備し、戦の収束に伴い再び廃城となりましたが、明治時代には尾張徳川家の保護を受け歴史を刻みました。
徳川家の印が入った登城印
場所:小牧山城(小牧市歴史館)



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