2019
10/04
金
本日は岐阜県東濃地方の多治見市を中心に廻りました。
まずは、大原町にあります『池原神社』(ちはらじんじゃ)から行きました(^^)/

池原神社→いけはらじんじゃ、とばかり思っていましたら、「ちはらじんじゃ」と読むそうです(^^;) 社号碑は「池原神社」と刻まれています。

中段左側の玉垣際にも社号碑があります。こちらの方が若干古そうで、「銀弊社 池原神社」と刻まれています。
中段左側にある銅葺き屋根の手水舎です。
水盤を洗っておられる方がいますが、宮司さんでした。。。(^^;)
中段の右側には、遷宮記念碑がありました。
由緒が書かれていましたので、下記に記録しました。
「悠久の歴史の中に栄え続いて来た吾等の郷土 多治見市第二十三区は、大原町、小泉町、平井町、明和町、幸町、大沢町からなり、現在戸数千三百四十八軒、この地の産土の神は池原神社。その祭神は、豊城入彦命と大国主命で、史実によれば、享徳四年二月の再建で、今から五百二十二年の昔、創建はつまびらかでないが、池原の源名は崇神天皇の皇子豊城入彦命五世孫多波世君後裔の池原朝臣より来るものである。神仏混淆の音もあったが、近くは昭和三年小泉村村社に列せられた。
当時この地の西に聳ゆる山頂には、高社神社もあり、創建は天暦の頃で今から一千有余年前の遠き日この山河風雪のはるかなるを聞くものである。
近世徳川時代は美濃国安八郡林村から出た林氏の所領として続き明治初期は美濃国大原村で明治二十二年可児郡小泉村大原となり昭和十九年二月十一日小泉村は多治見市へ合併して今日に至る。
現在大原町七丁目八十六番地にあった社殿老朽を機に、大原町四丁目八十二番地の一へ移転を計画し、設計は伊勢神宮営繕部長森恒保氏で、この再建費は一億三阡八百万円にして、これは神社持ち山林処分の金員と右氏子多数の浄財や奉仕である。
連山眺望雄大の聖地に拝する吾等の繁栄を祈り遷宮の式を慶祝するものである。
昭和五十二年十月十日」
中段から見上げた所に、第二鳥居が伺えます。鳥居は双方とも神明鳥居です。
境内に上がってきました。(^^)/ 境内は綺麗に整備され、片付けられています。拝殿は正面に向拝を設け、銅葺き唐破風の屋根が重厚さを醸し出しています。
屋根の鬼瓦(棟鬼飾り)や屋根下の飾りには、桐紋がありますので、ひょっとすると豊臣家にゆかりがあるのかもしれませんねぇ~
拝殿を左斜め前からの全景です。社殿は浅瓦葺き入母屋造りになります。御祭神は由緒にありましたが、豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)と大国主命(おおくにぬしのみこと)になります。
境内社は3社ありまして、拝殿左側に「護国神社」、2枚目の写真は拝殿右にある「池原恵比寿神社」、3枚目は池原神社の境内外の左側(南側)に、「津島神社」がありました。
拝殿前にある賽銭箱の所でお詣りをさせていただきました<(_ _)>
拝殿の奥にあります、本殿です。本殿は銅葺き屋根のようです。
境内の右手(北側)にあった社務所にて御朱印を書いていただきました。
御朱印
場所:池原神社



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