2019
10/01
火
本日は
ウォーキングがてら、岐阜市敷島町にある『本荘神社』(ほんじょうじんじゃ)に来ました(。・∀・)ノ ボクの母校
に近く、通っている頃には全く気が付きませんでした(^^;)


まずは、JR高架すぐ北に入口があります。鳥居はなく、ケヤキの高木と「本荘神社」と刻まれた社号標が右手にありました。「社」と書かれた石碑は何だろうか???
参道を進むと、真ん中ほどに道路が横切っており、その手前に石製の神明鳥居がありました。渡るときは道路への飛び出しが危険なので注意して下さい(^^)/
道路を渡って進むと、境内の手前に「銀弊社本荘神社」と刻まれた石碑がありました。昭和54年に岐阜県神社庁より銀弊社の指定を受けております。
銀弊社の石碑の右に、今は通行禁止の反橋がありました。正面が拝殿になります。
反り橋の右側にある境内への参道途中に、「縁を結ぶ しあわせ祈願の宮」と書かれた立て札があります。東の方位に「富士山、西の方位に「出雲さん」、南の方位に「お伊勢さん」、北の方位に「白山」本殿前に「四方拝所」があります。
境内南側に楠の御神木がありました。
南西角から、境内全景になります。境内はとても綺麗に整備されていました。
拝殿前に献灯がありますが、狛犬がいない!? なんとも珍しい神社です。
境内右手にあった手水舎にて身を清めます。
手水舎の北側に、御由緒碑がありました。
「当神社の創立は今から千余年前の第六十六代一条天皇の御代長徳年間(995~999)といわれている。
美濃国神名帳によると美濃国厚見郡十八社の内、正六位上楡賀保明神とあり牛頭天王と称し旧本荘村東部の地(日通岐阜支店付近)に鎮座されていたが永禄年間(1558~1570)の岐阜乱の時、戦禍を避けて現在地に奉遷した。
往昔、宇佐、清共に総氏子であったが慶長年間(1596~1615)の頃より本荘、清二村の総社とされた。
江戸中期鳥屋神社と称していたのを本荘神社と改称した。
明治六年郷社定則により美濃国厚見郡第一大区第七小区の鳥屋(明治二十三年本荘村に復す)、清、六条、宇佐四村の郷社に指定され以後本荘村一村の産土神とされる。
昭和五十四年九月一日銀幣社に指定される。
当神社は往古より五穀豊穣、村内安全、除災招福の守護神として御神威高く氏子の崇敬殊に厚く旧本荘村の総社として栄え今日に至っている。
雨乞いの神様として日照のときは当神社の境内で谷汲踊りによく似た竹刀を背負って踊る雨乞い踊りが盛大に行われ大正末期まで続いたといわれている。
当神社の例祭日は江戸時代までは正月十八日、明治の改暦で二月十一日、その後三月一日、三月十五日と改められ昭和六年岐阜市合併後四月五日となる。」
拝殿の正面全景です。桟瓦葺き入母屋造り、銅葺き唐破風の向拝付きです。御祭神は、素盞嗚尊(すさのおのみこと)になります。
拝殿前の向拝にてお詣りをさせていただきました<(_ _)>
拝殿の後ろ側にあります本殿です。先程紹介した立て札にありました「四方拝所」が本殿前にありました。
拝殿右手にありました社務所にて、宮司さんとお話をさせていただき、御朱印を書いていただきました。どうやら土日しか居られないようで、ラッキーでした(^^;)
御朱印
場所:本荘神社



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