2019
09/28
土
建仁寺塔頭の禅居庵に続いては、その大本山である『建仁寺』(けんにんじ)になります(^^)/
禅居庵東側通路の「ゆずりあいの道」を通り境内に入りました。やはり最初は入口から入ろうと戻りましたが、通行禁止になっていました(^_-) 脇に通用口みたいな所から外に出て1枚!
「臨済宗大本山 建仁寺」と大きな寺号標があります。国の重要文化財である「勅使門」の屋根は銅葺きで緑青がいい味を醸し出しています。
勅使門の屋根は銅葺きなのに、棟はのし瓦のようです。
勅使門の中に入り、「放生池」を渡る反橋の向こう正面には「三門」が伺えます。真っ直ぐは行けないようなので、一本東側の参道を北に進みます。
参道途中に「浴室」と書かれたお堂がありました。
「寛永五年(1628)三江和尚(諱紹益)によって建立された。七堂伽藍のひとつで内部は待合、浴室、土間(火炊場)に三分されている。湯気で体を温める蒸し風呂で、禅寺では入浴も修行の一つです。」
浴室の横に、建仁寺境内で祀られている「楽神廟」(らくじんびょう)と書かれた小さい祠がありました。
先程正面から見た「三門」を斜め横から見ています。「望闕楼」(ぼうげつろう)の扁額が伺えます。
「大正12年、静岡県浜名郡の安寧寺から移建したもの。
空門・無相門・無作門の三解脱門。「御所を望む楼閣」という意味で「望闕楼」と名づけられる。楼上には釈迦如来、迦葉・阿難両尊者と十六羅漢が祀られる。室町時代中期の瑞巌龍惺の「春眺」の詩の中に「望闕楼高くして帝城に対す」という句がある。」
「千光祖師栄西禅師入定塔」の石碑がある奥には「開山堂」がありました。
「旧名護国院、古くは興禅護国院といい、開山栄西禅師の入定塔(墓所)。苔むした庭に開山お手植えの菩提樹が今も茂っている。」
本瓦葺き入母屋造りの「法堂」(はっとう)です。ここは内部の拝観ができるので、後で巨大な天井絵を見て下さい(^^)/ 中は吹き抜けとなっているので単層です。下屋は裳階になります。
「明和2年(1765年)上棟。
仏殿兼用の「拈華堂(ねんげどう)」。五間四間・一重・裳階付の堂々とした禅宗様仏殿建築。正面須弥壇には本尊釈迦如来座像と脇侍迦葉尊者・阿難尊者が祀られてる。また、その天井には平成14年(2002年)創建800年を記念して「小泉淳作画伯」筆の双龍が描かれた。」
「陀羅尼の鐘」(だらにのかね)です。修行僧が寝に付く亥の刻過ぎ、観音慈救陀羅尼を一万返唱しながら撞くことから、この名前があるようです。
天井絵の「双龍図」拝観の案内板です。ここからは拝観料大人500円で、方丈の中へ入ります。
かなり大きな「建仁寺本坊」です。ここで受付して方丈~法堂に行きます。
建仁寺案内図がありました。ちょっと写りが悪かったので、建仁寺ホームページに同じ物がありましたので、「境内見取図」にリンクを貼っておきます(^^)/
内部の拝観案内図です。こちらも先程のページにもありますので確認して下さい。
方丈前の庭、「大雄苑」(だいおうえん)です。京都の大寺院で見る枯山水は、どこも綺麗に整備されていますが、毎日の手入れは相当大変だろうな~と思います(^^;)
先に方丈から繋がる外部の渡り廊下を通って法堂へ。法堂内の天井絵「双龍図」です。「双龍図」は平成14年(2002)と新しいですが。建仁寺創建800年記念として、日本画家の小泉淳作画伯が約2年かけて描かれた作品になります。絡みあう「阿吽」の双龍が描かれ、108畳ある水墨画には見る者を圧倒してくれます。
中央に祀られているのは、建仁寺本尊の釈迦如来坐像です。
建仁寺縁起は
「建仁寺は建仁2年(1202)将軍源頼家が寺域を寄進し栄西禅師を開山として宋国百丈山を模して建立されました。元号を寺号とし、山号を東山と称します。
創建時は真言・止観の二院を構え天台・密教・禅の三宗兼学の道場として当時の情勢に対応していました。その後、寛元・康元年間の火災等で境内は荒廃するも、正嘉元年(1258)東福寺開山円爾弁円(えんにべんえん)が当山に入寺し境内を復興、禅も盛んとなりました。
正元元年(1259)宋の禅僧、建長寺開山蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)が入寺してからは禅の作法、規矩(禅院の規則)が厳格に行われ純粋に禅の道場となりました。やがて室町幕府により中国の制度にならった京都五山が制定され、その第三位として厚い保護を受け大いに栄えますが、戦乱と幕府の衰退により再び荒廃します。
ようやく天正年間(1573-1592年)に安国寺恵瓊(あんこくじえけい)が方丈や仏殿を移築しその復興が始まり、徳川幕府の保護のもと堂塔が再建修築され制度や学問が整備されます。
明治に入り政府の宗教政策等により臨済宗建仁寺派としての分派独立、建仁寺はその大本山となります。また廃仏毀釈、神仏分離の法難により塔頭の統廃合が行われ、余った土地を政府に上納、境内が半分近く縮小され現在にいたります。」
渡り廊下から見た方丈は、檜皮葺屋根の曲線が美しいです。「方丈」とは禅寺で、住職の居室、寺の住持。また、住職の称をいいます。
「慶長四年(1599)恵瓊(えけい)が安芸の安国寺から移築したもので、優美な銅板葺の屋根が印象的な禅宗方丈建築。本尊は東福門院寄進の十一面観音菩薩像。
また前庭に枯山水様式の「大雄苑」(だいおうえん)を有する。」
方丈北側にある方形の「納骨堂」です。「霊照」と書かれた扁額があります。
手前の方丈縁側廊下から見える大屋根は本坊です。
北側の建物中庭に「潮音庭」(ちょうおんてい)と呼ばれる、枯山水とは真逆の禅庭です。秋は紅葉で美しく染まりそうです。
先程の受付に戻って、先に渡してあった御朱印帳に御朱印を書いていただきました。
場所:建仁寺



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