2019
09/19
木
正式名称は「蓮華王院本堂」(れんげおういんほんどう)で、京都市東山区の「妙法院」の境外仏堂になります。ですので、山号はありません。宗派は妙法院の天台宗になります。
「南大門」に着きました。門左側に国の重要文化財看板があります。本瓦葺き切妻造りで、建立は桃山時代になります。
門から中を見た状態で、
車が往来できる場所にあります。

中から南大門を見ています。下がアスファルト舗装だと、せっかくの重要文化財がもったいない気がするのはボクだけでしょうか?(^^;)
南大門から少し
歩いた所に、朱色が基調の「東大門」です。まだ新しそうです。

境内敷地北側の
駐車場に入り、「普門閣」の名がついた入口が真ん中程にありました。

「国宝 三十三間堂」と書かれた札の横にチケット売り場がありましたので、大人一般600円を払い拝観チケットをもらい中に入ります。
右手に「参進閣」と書かれた額が掲げられている建物から、本堂内へ参拝(拝観)に行きます。参拝口で靴を履き替えます。本堂内は
撮影禁止なのが残念なくらい、1001体の素晴らしい千手観音像が並んで待ち構えてくれました。

本堂中央ほどにありました授与所にて御朱印を書いていただきました。
内部の参拝後、外に出て北東側から境内を廻ります。東の塀際に「写経奉納塔」と書かれた塔がありました。
境内の真ん中辺りに手水舎がありました…ここにあると、誰も身を清めて本堂内に入ってないような。。。(^^;) 「夜泣泉」(よなきせん)と書かれた看板札がありますが、一人の僧が夢のお告げにより発見した霊泉で、水の湧き出す音が「すすり泣き」に聞こえることから「夜泣き」泉と言われ、いつの頃からか傍らに地蔵尊が祀られ、幼児の「夜泣き封じ」にご利益があるとされています。
残念だったのは、本堂の東面の一部が改修の為か、足場が架けられ全体が
写真に収められなかったことです。ですので東面は真ん中の階段があるところから南側だけになっちゃいました。。。

本瓦葺き入母屋造りで桁行35間、梁間5間の横長な建物です。実長は実に118.2mあります!
「国宝 三十三間堂」と書かれた札があります。唯一ここが堂内から外に出られる場所らしいんですが、ここで座って休憩もちょっと残念な気がします(-_-)
境内の中から見た東大門です。
「蓮華王院本堂」と書かれた国重文の看板がありました。通称が「三十三間堂」と呼ばれます。創建は平安時代長寛二年(1164)、再建は鎌倉時代文永三年(1266)になります。
三十三間堂の縁起は
「三十三間堂と言う名前は、南北にのびる内陣の柱間が33あることからによります。「三十三」という数字は、観音菩薩の変化身に基づいた数になります。
平安後期、約三十年の間院政をおこなった後白河上皇が、「法住寺殿」(ほうじゅうじどの)と呼ぶ院御所内に、当時、権勢を誇った平清盛の資材協力によって創建したものです。ところが、そのお堂は建長元年(1249)に火災により焼失し、鎌倉期に文永三年(1266)に再建されたのが現存しているものです。朱塗りの外装で、堂内は花や雲模様の極彩色で飾られたといい、今もわずかに名残をとどめています。
地上16m、奥行22m、長さ120mの横長のお堂は、和様、本瓦葺き入母屋造りで、手前から最奥へ漸減する眺めは優美な美しさがあります。」
入母屋の隅棟、降り棟、稚児棟の鬼飾りが三十三間堂の厄払いをしています。
朱色に色付けされた鐘楼堂がありました。
南東側から三十三間堂の全景です。最奥に若干足場が伺えます。。。
築地塀の「太閤塀」(たいこうべい)は、南大門と併せて国の重要文化財です。高さ5.3m、長さ92mの堂々たる建造物で、瓦に太閤桐の文様を用いることから太閤塀と通称され、桃山時代の遺構になります。
南西角にありました、開運招福・心願成就のご利益がある「稲荷社」です。「久勢大明神」の扁額が掲げられています。
北西からの三十三間堂西面(裏側)です。新しく造られた本堂への玄関口となる「参進閣」が出っ張っているため、こちらも全景が
撮影できませんでした。。。(-_-)

御朱印
場所:蓮華王院 三十三間堂



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