2019
09/17
火
同聚院に続いては、東福寺の次に行く予定でした『勝林寺』(しょうりんじ)です。(^^)/ 東福寺の北側を守護する塔頭で、鬼門に当たることから毘沙門天が祀られています。臨済宗大本山東福寺派で御本尊は毘沙門天王になります。
同聚院から東福寺参道を戻る途中の交差点に「毘沙門天王」と刻まれた石碑と、勝林寺の大きな立て看板がありました。
勝林寺に入る小道の参道交差点にも「毘沙門天王」と刻まれた石碑がありました。参道奥の石段に青いノボリが確認できました。
石段には、たくさんの青いノボリには「奉納 毘沙門天」と書かれています。
入口には山門や寺号標はなく(別に入口があるかもしれませんが、確認してません(^^;))、門柱に表札として左右に「勝林寺」「毘沙門堂」とありました。
入口から境内に入り、参道正面の突き当たりに勝林寺の縁起看板がありました。
「東福寺の塔頭で、天文十九年(1550)に第二百五世住持・高岳令松(こうがくれいしょう)によって創建された。仏法と北方を守護する毘沙門天を祀ることから「東福寺の毘沙門天」と呼ばれており、現在では東福寺一山の鎮守として祀られる。
本堂は大檀那であった近衛家の大玄関を移して建立され、境内には一切経を埋めた石塔が建てられている。毘沙門堂に安置する毘沙門天立像は等身大の一木造の像で、左手に宝塔、右手に三叉戟(さんさげき)をもった憤怒相、作は平安時代後期と伝わる。長く東福寺仏殿の天井裏にひそかに安置されていたが、江戸時代に開山・高岳令松の霊告により発見され、勝林寺の本尊として祀られたという。
脇侍の吉祥天像、善膩師童子像(ぜんにしどうじぞう)はともに江戸時代の仏師清水隆慶(しみずりゅうけい)の作で衣の色彩も鮮やかに残っている。また、多数の平安時代の仏像や毘沙門天一族・眷属を網羅した毘沙門天曼荼羅も蔵する。」
と、書かれていました。
右手には手水舎がありました。お盆の間は水盤に花を活けた「花手水」としているようで、女性の参拝者にインスタ映えとして人気があるようです。
手水舎の奥は庫裡のようです。
左に曲がると、本堂前の境内南側は庭園として整備されていました。
秋は紅葉が素敵なようです。
参道最奥にはモミジに囲まれた本堂があります。本堂前に参拝者が座って待っている状態でしたが、なんと御朱印を書いてもらう順番待ちのようです。勝林寺はツイッター等SNSにて手書き御朱印の告知をしていまして、書かれる数も決まっているようです。ボクは時間がありませんでしたので、色付きの素敵な書き置きを頂いてきました~(≧∇≦)ノ
本堂前の向拝にて、お参りをさせていただきました<(_ _)>
授与所は本堂の外陣を右に行った所にありまして、御朱印もそこでいただけます。
毘沙門天と書かれた御朱印
場所:勝林寺



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