2019
09/15
日
東福寺を後にしまして、次に伺ったのは『同聚院』(どうじゅいん)です(^^)/
当所は、同じ東福寺塔頭の勝林寺に
行く予定でしたが、向かう道中でとても気になったので寄らせていただきました。

立派な薬医門の山門には脇塀にくぐり戸が付けられ、「同聚院」と小さな札が柱に付けられています。手前には、「十万不動明王 五大堂」と刻まれた石碑がありますが、次の縁起に内容が載っていますのでご確認下さい。
山門前に同聚院の縁起が掲げられていました。内容は、
「臨済宗東福寺派に属する東福寺の塔頭の一つである。
東福寺の寺地一帯は、平安時代中期に藤原忠平が法性寺(ほうしょうじ)を建立した所で、寛弘三年(1006)には、藤原道長が四十歳の賀に当たって、五大明王を安置する五大堂を境内に造営した。その後も、藤原氏が法性寺の造営に力を入れたが、鎌倉時代初期には衰微し、その跡地に九條道家が東福寺を建立したのである。
本寺は藤原道長が建立した五大堂の遺跡で、五大明王のうち不動明王坐像(重要文化財)が幾多の災害を超えて祀られている。像は仏師定朝の父・康尚の作品で、像高265センチメートル、忿怒相(ふんぬそう)の中にも優美さをたたえた藤原美術の代表彫刻の一つである。「十万不動」と称され、「十万(旧字)」の字を書いた屋守護の符が配布されている。「十万(旧字)」は土地の守護を表す「土力」、又は、十万の一族・従者を従えるという意味の「十万」の二字を一字にした文字といわれ、火除けをはじめ除災の霊験あらたかな不動として信仰が深い。」 と、書かれています。
境内に入り、左手に手水舎がありました。手水舎としては豪華な入母屋造りの屋根です。
山門から真っ直ぐ続く石畳の先に本堂があります。本堂は桟瓦葺き方形造りで中心にある宝珠棟飾りが豪華です。境内は、本堂と庫裡、授与所(寺務所)だけのシンプルなところになっています。
本堂の左手に祀られているのは、「水掛不動尊」です。手前に水盤と柄杓がありましたので、思い切ってかけて参りました。小さい祠は何を祀られているのかはわかりませんでした。
水掛不動尊の手前から見た
本堂です。同聚院は文安元年(1444)に東福寺の文渓元作禅師が、その師である琴江令薫禅師を開山に誘い創立した寺院になります。御本尊は十万不動明王になります。

堂内の向拝にてお参りをさせていただきました<(_ _)>
本堂の右側には授与所(寺務所)、北山杉の奥に大きな庫裡がありました。授与所にて3種類ほどある御朱印の中から色付きの1枚をいただきました。
藤の絵に、1字で十万と書かれた御朱印
場所:同聚院



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