2019
09/05
木
勅願院観音寺に続いては、本日最後の訪問となりました、四日市市泊山崎町に鎮座する『光明寺』(こうみょうじ)に行きました(^^)/
南側にある
駐車場に
車を停め、東側の入口に来ました。入口には寺号標や山門はなく、石柱が両脇にある質素な感じです。山号は囲瀬山で、真言宗豊山派の寺院になります。


入口横には光明寺の縁起が書かれた説明板がありました。
「当山は真言宗真義豊山派の寺である。戦前は泊山の中腹にあったが、昭和十六年(1941)泊山に海軍の施設が出来るため、この地に移転した。
当山は聖武天皇の御代(724~749)の天平年間に行基菩薩が開かれたと伝えられている。本尊の聖観世音菩薩は弘法大師が当山に立ち寄られたときに彫られた一刀三礼の作であるといわれる。
昔、熊野権現が花山法皇をともなって当山に立ち寄られ、本尊を拝まれたとき、本尊の御身から明々と光明が輝いた。このため、法皇は寺号を「光明寺」と称するよう勅された。
織田信長の伊勢攻めの時、この寺も焼き払ったが、のちに心境法印が紀州藩や信者から寄進を仰ぎ、堂塔を再建した。
境内の観音堂は西国三十三番の霊場を模した三十三体の観音の石像を安置したお堂である。また、大師堂は西国八十八ヵ所の霊場に準えた八十八体の弘法大師像が祀られている。」
境内の全体写真
です。真ん中の屋根が一番高いのが本堂です。

左手には鐘楼堂がありました。斗栱や垂木飾りを化粧する白色が鮮やかで美しいです。
左手の建物の中に、「地蔵堂」がありました。
お墓が西側(境内の裏側)にありますので、お墓参りの道具が置かれている所に、手水がありましたので、身を清めさせていただきました。(他に手水が見当たらないので…(^^;))
地蔵堂と同じ建物の続きで「観音堂」がありました。先程の縁起にもありましたが、西国三十三観音を模した石像があります。
境内の真ん中に、宝篋印塔がありました。由縁はわかりませんでした。。。
本堂の左側にありますのは「大師堂」になります。
「南無大師返照金剛」のノボリも伺えます。
「大師堂」と書かれた札と扁額が掲げられており、入口には三重四国八十八ヶ所巡拝と書かれたポスターが貼られています。ここは第十一番礼所となっております。
本瓦葺き入母屋造り、入母屋破風側の屋根を流して向拝を設けた本堂です。御本尊は聖観世音菩薩になります。細かい内容は縁起をご覧下さい(^^)/
向拝先の本堂入口上には「囲瀬山」と山号が金文字で書かれた、豪華な扁額が掲げられておりました。賽銭箱の前でお参りをさせていただきました<(_ _)>
庫裡です。奥様に御朱印(納経印)をいただきました。
御朱印
今回の四日市訪問で訪れましたのは、
朝8時半頃岐阜を
出発し、四日市東ICを10時前頃に下車して下道を車
で廻りました(^_^)v


光明寺で15時前くらいでしたので、余裕で行動できるかと思います。
場所:光明寺



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