2019
08/26
月
道路の角に「縣社志氐神社」と刻まれた社号標があります。
大通りの角から、斜めに道をちょっと入った所に境内入口があります。境内参道の廻りは高木で覆われており、とても雰囲気がいいです。石製の一の鳥居には大きな注連縄が付けられていました。
鳥居の左側には手水舎がありました。身を清めてお詣りに進みます。
境内参道の口には阿吽の狛犬が迎えています。玉石を並べた参道は、一段の長い階段状になっていてとても上りやすかったです。
参道両際には、いくつもの燈籠が並び、境内まで案内してくれています。
参道途中の左手に境内社の「妻恋稲荷神社」があります。
ここでは夫婦円満を祈願してくれます。
こちらも左手にありました「神馬舎」です。中には神馬が祀られていました。
石製の二の鳥居です。ここを過ぎると広い境内に入ります。
境内に入って左側に、樹種はわかりませんが、かなり大きい御神木がありました。
これは
西側駐車場の所にあった、西入口の大鳥居です。
車が入るので足下廻りが柵で養生されています。


鳥居入ってすぐの北側に「参集殿」がありました。結婚式もやれるんですかね?(^^;)
志氐神社の御由緒が書かれていました。
「当社は垂仁天皇の御代の鎮座にて高野御前(たかのみまえ)と称へ奉られ「志氐」(しで)の名は天武天皇が皇子であられた頃、壬申の乱を避け吉野から鈴鹿を経て桑名への途次、迹太川(とほかわ)の辺で伊勢の神宮を望拝されたことに起因しています。
シデとは御幣のことで天皇が四方に幣(ぬさ)を班(わか)ち、祓の神 気吹戸主神(いぶきとぬしのかみ)をお祀りし禊祓をなされた御跡を斎(いは)い奉れる神社であります。
天平十二年聖武天皇が此地方へ行幸の時に丹比屋主真人(たぢひのやぬしのまひと)が当社で詠んだ歌が万葉集にみえます。
後れにし 人を思(しの)はく 四泥(しで)の埼
木綿(ゆふ)取りしでて さきくとぞ念(おも)ふ
当社境内古墳は前方後円式で前漢時代の鏡、車輪石などの出土品により四世紀頃の高貴な方の墳墓と推定され北勢随一の大古墳であります。
平安時代の延喜式にあげられ代々藩主の崇敬の念篤く御神威は遍く光被じて北勢の名社であります。」
境内に戻り、二の鳥居前からの境内全景です。中心の建物が社殿です。
社殿(拝殿)の正面全景です。正面からは浅瓦の切妻造りですが、裏の弊殿側は東西の屋根が拝殿屋根にぶつかった交差屋根となっています。ご祭神は気吹戸主神(いぶきどぬしのかみ)、配祀に伊邪那岐命、伊邪那美命の外二十六柱になります。
志氐神社と書かれた扁額のある向拝にてお詣りをさせていただきました<(_ _)>
神明造りの本殿です。本殿は屋根が銅葺きで緑青が出ており、千木に鰹木が映えています。
志氐神社の境内は古墳となっているらしく、古墳時代前期に築造された北勢随一の前方後円墳だそうです。
拝殿の左横には、車祓所の看板が立つ所に「成和殿」の額がある建物がありますが、ここでは、文化財の展示等神社での催し物の時などで幅広く使われているそうです。
成和殿の左には社務所がありました。
一番左の授与所のような場所で御朱印を書いていただきました。
御朱印
場所:志氐神社



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