2019
08/24
土
今回は三重県四日市市に行ってきました~(^^)/
岐阜市から一時間強で行けるので中々伺う機会がありませんでしたが、三重県も四日市市以外は、ある程度まんべんなく伺いましたので、今回の運びとなりました。
まずは、東名阪の四日市東ICを
降りて5分の所、四日市市垂坂町にある『観音寺』(かんのんじ)になります。境内南側にある大きな
駐車場があり、
駐車場前から入口
全景です。





入口には寺号標はありませんが、「國寶元三大師」(こくほうがんざんだいし)の石碑があります。ここ観音寺は、元三大師が御本尊で祀られています。山号は垂坂山で正式名は垂坂山観音寺になります。天台宗の寺院です。
石段を上がった所に本瓦葺き切妻造りで四脚門の山門があります。また境内は築地塀で囲まれています。
山門の屋根下、虹梁の上に化粧で彫刻されたマークみたいなものは何だろう??
山門入って、右手にまだ新しそうな「地蔵堂」がありました。
左手には、一段高い位置に、本瓦葺き入母屋造りで「鐘楼堂」があります。
鐘楼堂の前に縁起の説明板がありました。
「垂坂観音寺は、平安時代の延長6年(928)に慈恵大師(913~985)が大乗受戒(万人の救済・成仏を説く仏法の教えを授けること)について伊勢国に留錫(行脚中、土地の寺院に滞在すること)、当時朝明郡の領主であった舟木良見の篤い帰依を受け、伽藍を建立し7年間修学した地である。慈恵大師は近江国(現在の滋賀県)浅井郡出身で、12歳で比叡山に登って修学後同山を再興し、天台中興の祖と仰がれたが、寛和元年(985)に示寂。それが正月3日であったため俗に「元三大師」と呼ばれている。
当時の伽藍の規模は広大で、垂坂を中心に大膳寺・明願寺・建長坊・寂禅坊・中の坊・玄性坊・浄光坊・天神堂・薬師堂等の24坊とそれに関連した建物が、鵤(いかるが)・茂福・東阿倉川・東坂部・山之一色・小杉・平津・中村等に散在し、天台別院としても栄えていたが、安土桃山時代の天正3年(1575)に織田信長の兵火に遭って焼失し、現在は寺名や地名に名残が留まるのみである。現在の伽藍は江戸時代の元禄4年(1691)に桑名城主の松平定重が元の奥の院跡に再興したものであり、本堂は昭和に再建されたものだが、山門や鐘楼は当時の雰囲気を伝えている。」
右側境内の空き地奥には庫裡があります。
山門からの正面には本堂があります。本堂前の左手には「宝篋印塔」がありました。
本瓦葺き方形屋根ですが、構造は先程の縁起にもありましたが、昭和に再建された鉄筋コンクリート造の本堂になります。御本尊は最初に書きましたが、木像の慈恵大師(元三大師)坐像が祀られています。最初に国宝とありましたが、国の重要文化財に指定されています。
本堂入口上には、「垂坂山」と山号が書かれた扁額が掲げられていました。本堂の中に入りお参りをさせていただきました<(_ _)>
本堂の左側には歓喜天が祀られている「聖天堂」がありました。本堂前には「聖観音像」も祀られています。
本瓦葺き切妻の流造りで向拝のある聖天堂です。
やっぱり堂宇は木造の方が似合いますね~(笑)
歓喜天の提灯があります堂前で、お参りをさせていただきました<(_ _)>
聖天堂と本堂の間にある建物は、先程の案内図だと「観音堂」になっています。閉められていたのでお参りはしませんでした(^^;)
一通りお参りを済ませ、庫裡に伺い御朱印を書いていただきました。
写真は庫裡の玄関から本堂側を見ています。

元三大師と本尊が書かれた御朱印です。
場所:垂坂山観音寺



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