2019
08/22
木
長福寺に続いては、前面道路を北に向かい国道19号を超え、山道を登った場所、多治見市虎渓山町にある『永保寺』(えいほうじ)に行きました(^^)/
山号は虎渓山で、寺号より山号の方が有名なのは、
中央自動車道
パーキングエリアに虎渓山PAがあることで通称として知られていました。


売店がある
駐車場に
車を停め、
歩いて境内に向かいます。




JR中央本線の線路を超えると、曲がり角の両側に古そうな石灯籠がありました。
参道途中には大きな塔頭があり、左角にある「続芳院」を過ぎて左に曲がり、道なりに降りていくと小さい山門がありました。
山門の右側には、苔の生えた石に「虎渓山永保寺」と刻まれた石碑があります。
山門をくぐり、境内参道を道なりに進みます。右手には大きな寺務所があります。
細い参道を抜けると、広い境内に出ました。
正面には樹齢700年と言われる大銀杏がそびえます。
左側には袴腰を持つ「鐘楼堂」がありました。
右側手前には、庫裏があります。手前側の入口部分で御朱印をいただける授与所になっています。更に右手の方へは寺務所へと繋がっています。
庫裏の玄関前には「止掛塔」とありますが、
意味を調べましたら、掛塔(修行者の入門)を止めている時期である事を示しているようです。
檜皮葺唐破風の玄関には「臨済宗南禅寺派 虎渓山専門道場」の札があるように、永保寺は禅宗(臨済宗)南禅寺派の寺院になります。右に庫裏、左に本堂があります。
檜皮葺入母屋造りの本堂全景です。御本尊は聖観世音菩薩になります。
本堂と庫裏はとても新しいのですが、実は2003年に火災で本堂と庫裏が全焼しまして、2007年に庫裏が、2011年6月に本堂が、以前と同じ姿で再建されました。
虎渓山略縁起は
「山号は虎渓山。虎渓の名称は景色が中国廬山の虎渓に似ていることによるといわれています。 1313年(正和2年)土岐氏の招きをうけた夢窓疎石が長瀬山の幽境に庵居しこの禅寺を開創されましたが、 1317年(文保1年)夢窓は同門の元翁本元(仏徳禅師)に寺の後事を託して上京されました。 1335年(建武2年)夢窓が臨川寺(京都)開山となられたとき、永保寺開山は元翁本元に改められました。 元翁の寂年は1331年(元弘1年)で、開山となられた時にはすでに遷化されていましたが、 元翁の塔所である南禅寺正的庵末寺の五山派寺院として展開しました。 しかし文明期以後には衰微しましたが、江戸時代の1746年(延享3年)には末寺28ケ寺、孫末寺1ケ寺を有し、 山内塔頭(たっちゅう)の輪番によって住持をつとめ護持されてきました。」
本堂前の向拝にてお参りをさせていただきました<(_ _)>
名勝「永保寺庭園」に建つ、国宝「観音堂」を本堂前から見ています。
観音堂を正面から見ています。一重裳階(もこし)付き檜皮葺入母屋造りの仏殿です。永保寺の本尊はここに安置されています。
国宝 観音堂(水月場)
「1314年、夢窓国師が虎渓に来られた翌年に建立されたとされ、禅宗伽藍の中では一番大切な仏殿です。
須弥壇上の岩窟式厨子には県重要文化財の聖観世音菩薩坐像が本尊としてまつられています。」
観音堂と池に架かる「無際橋」(むさいきょう)です。池の此岸(煩悩にまみれた世界)と彼岸(煩悩から解放された世界)を結ぶ橋です。
晴れていたらもっと美しく見える場所でしょうねぇ。(*'ω'*)
境内の西奥にある、国宝「開山堂」です。檜皮葺入母屋造りで、軒反りが大きく美しさを際立たせています。
国宝 開山堂(僊壺堂)
「1352年頃に足利尊氏が建立したといわれ純正唐様ともいうべく、室町時代初期の代表的な建築です。
裏側の祠堂に開祖夢窓国師開山仏徳禅師の坐像が安置されています。」
池の北側、滝が落ちる岩山上にある「六角堂」です。
六角堂(霊擁殿)梵音巌
「梵音岩上の六角堂には千体地蔵がまつられており、願をかける人が地蔵を借り、願がかなうと新しい地蔵を添えて返されています。
滝の水は虎渓山北西にある「しでこぶし」群生地付近の湧水を集めたものです。」
ここでの曇りの写真
はあまりにも残念だったので、



御朱印
場所:虎渓山永保寺



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