2019
08/16
金
今回は、単身赴任で岐阜県多治見市に引越がてら近くの寺社を廻って来ました(^^)/
まずは、多治見市御幸町に鎮座します『新羅神社』(しんらじんじゃ)に行きました。
入口右には「郷社 新羅神社」と刻まれた社号標があります。
石製の一の鳥居です。石製の扁額には新羅神社と書かれています。
境内参道途中の右手に手水舎がありましたので、身を清めます。
手水舎の横には元の社務所でしょうか?(奥の社殿の横に社務所があるため)
社務所一棟を寄付された旨が書かれた石碑があります。
「厄除橋」は、”渡ってお参りをされ厄を祓い幸せな一年をお過ごし下さい。”
と書かれていました。
参道左手には参集殿だったかな? うろ覚えですいません(^^;)
二の鳥居前には、夏越の祓で「茅の輪くぐり」がありました。これをくぐることで心身を清めて災厄を祓い、無病息災を祈願するというものです。
二の鳥居をくぐり境内に入ると、右手に宝物庫らしき建物がありました。
社殿(拝殿)全景です。銅板葺き切妻造りで唐破風向拝付きの社殿です。社殿は市の有形文化財になっています。現在の社殿は嘉永元年(1848)に建立されました。
有形文化財の説明板がありました。社殿の他、附(つけたり)、陶製燈籠、棟札があります。
新羅神社の由緒が書かれていました。
「当社の由緒は、最初奈良時代前期より鎮座し、平安時代前期頃より田只味(多治見)郷の産土神として田只味明神(八王子神)を祀る。次に鎌倉時代八幡大神を合祠し土地の豪族多治見氏を始め多くの崇敬を集めて社殿も改まり、神威も加わりしが正中年間、後醍醐天皇の御代天皇側に付きし多治見国長公の挙兵失敗に伴い次第に衰微した。しかし室町應永年間に至り新たに山城国より素戔嗚命を勧請し新羅三明神として幕末に至る。明治以降新羅神社となり、今日に至る。その間多賀大神、稲荷大神、御鍬大神、西宮大神を合祀せり。」
境内には多くの摂末社がありました。
順番に伏見稲荷社と御鍬社、多賀神社、相殿の西宮神社(恵比寿)です。
拝殿の向拝です。主祭神は、「素戔嗚尊」(すさのおのみこと)、「八王子神」、「八幡大神」、「西之宮大神」になります。向拝でお詣りをさせていただきました<(_ _)>
向拝から中の弊殿です。向拝の中には陶製の扁額が掛かっていました。多治見のある東濃地方は陶器の町としてとても有名です。
銅板葺き三間社流造りの本殿になります。
拝殿から石の間のある弊殿で繋がっていますので権現造りになります。
西之宮恵比寿の前にあります社務所です。
上の社務所にて「夏越の祓」の限定御朱印を頂きました(^^)/
場所:新羅神社



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