2019
08/14
水
伊勢ICから伊勢自動車道に乗り、紀勢自動車道を経由して大宮大台ICで降ります。距離にして約40㎞(40分程度)離れた場所だったため、時間も15時を廻っていました。瀧原宮参道前に大きなドライブインと向かいに大駐車場
があったので車
を停めます。間の道には白い大きな鳥居と「瀧原宮まで600m」の大看板が待ち構えていました。


100m程進むと、瀧原宮参道入口に到着しました。右側には他の別宮と同じ形の社号標に「皇大神宮別宮 瀧原宮」と書かれています。
木製の神明鳥居をくぐると神域に入ります。帽子を取って一礼して中に進みます。
手前には御由緒の書かれた掲示板がありました。
「瀧原宮は皇大神宮(内宮)の別宮で、天照坐皇大御神御魂をおまつりしています。
皇大御神は、第十代崇神天皇の御代に大和(奈良県)の皇居をお出になられ、大宮地を求めて近畿周辺各地をお巡りになられました。
ついで第十一代垂仁天皇の皇女倭姫命が、御杖代(御使い)として皇大御神を奉戴して、宮川下流から上流へと御鎮座の地を求めてお進みになられ、この地に新宮を建てられたのが起源です。
そののち皇大御神の御真意によって、再び伊勢の方へ向かわれましたが、この御由緒により皇大御神の御魂をおまつりして今日に至っています。
なお、二十年に一度の式年遷宮は、皇大神宮の翌年に斎行されます。」
鳥居の左手前には「瀧原宮衛士派出所」の札が掛かった建物がありました。神宮の警備員の詰所みたいな感じなのかな?(^^;)
参道は神宮と同じようにビリ砂利が敷かれ、廻りは杉の大木がずらりと並んでいます。
反橋の向こうに見える建物は「宿衛屋」(社務所)です。
宿衛屋の参道挟んで向かい側に手水がありました。珍しく屋根がありません!?
手水の横には「忌火屋殿」(いみびやでん)です。神饌の調理を行う神様の台所になります。
宿衛屋です。ここでお礼やお守りを頂きますが、御朱印も書いていただきます。
「祓所」(はらえど)です。祭典の前に神饌と神職を祓い清めます。
社殿に近づくにつれ、参道の真ん中にも巨木が現れ始めました。
ようやく開けた場所に出ました。写真は「古殿地」になります。
古殿地と社殿の間にあるのは「御船倉」(みふなくら)です。別宮全て見ましたが、初めての建物です。ご神体を覆う御樋代をお納めする「御船代」を収納する倉とされていますが、古代以来の宮川の水上交通を象徴するという説もあります。
月讀宮と同様に、ここ瀧原宮も参拝順が決まっているようです。
1番目は真ん中にある「瀧原宮」から参拝します。最初の御由緒にもありましたが、御祭神は「天照坐皇大御神御魂」(あまてらしますすめおおみかみのみたま)になります。
2番目の参拝は、最も左にある「瀧原竝宮」(たきはらのならびのみや)です。御祭神は瀧原宮と同じ「天照坐皇大御神御魂」になります。両別宮とも皇太神宮に準じた神明造りで、屋根の鰹木は偶数の6本、千木は内削ぎとなっています。
3番目は、最も右にある「若宮神社」になります。石段を上がった場所にあり瀧原宮の所管社です。ご祭神は「若宮神」と立て札にありますが、「天水分神」(あめのみくまりのかみ)との伝説もあります。
最後は、若宮神社の前にある「長由介神社」(ながゆけじんじゃ)です。ご祭神は長由介神と川島神(川島神社同座)です。こちらも所管社になります。
4社全て入った全景になります(^^)/
御朱印
今回は、伊勢神宮の別宮全ての巡拝に伺いました。岐阜から朝の6:30に車で出て、8:30頃に最初の訪問地、志摩市磯部町上之郷に鎮座する「伊雑宮」に着きました。
「伊雑宮」から伊勢市まで車で戻り、有料駐車場に停めます。
ちょっと離れている「月讀宮」へは車で伺いました。
最後の訪問地は度合郡大紀町滝原の「瀧原宮」ですが、40㎞離れていますので、移動だけでも時間がかかりますので、時間調整が非常に大変でした。
参拝終了時15:30頃で、自宅到着は17:30でした。
丸一日の巡拝で5社1寺を廻ることができました。是非興味のある方はブログを確認下さい。
場所:瀧原宮



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